菅政権のスローガンは「縦割り打破」だが、役所が縦割りなのは日本だけではない。民間も含めて、官僚組織が部門別にわかれるのは当たり前だ。問題は、日本では各部門を統率するリーダーの力が弱く、現場がその命令を拒否することである。

たとえばコロナの情報を手書きのファックスで送る県に、厚労省が「メールに統一してください」というと、「ファックスしかない保健所がある」と拒否されるという。この問題は、日本人の行動様式を象徴している。

脳の主要な機能は集団内の紛争処理だが、その方法には2種類ある。身近な小集団の中で人間関係(利他的感情)で調整する古い脳と、大組織の中で法律や論理で処理する新しい脳である。古い脳はハードウェア、新しい脳はソフトウェアのようなものだ。

この中間にファームウェアがある。これはソフトウェアをメモリに埋め込んでハードウェアの一部にしたものだが、スマホのOSのように更新できる。これは脳の機能としては大脳皮質の「新しい脳」の一部だが、エネルギー消費の少ない速い思考である。これが文化的進化に対応する。

脳

経済的だが柔軟性に欠ける「速い思考」

日本型システムはファックスやガラケーみたいなもので、ほとんどの調整をハードウェアとファームウェアの速い思考(人間関係)で処理し、残りの決まらない部分をソフトウェア(論理やルール)で処理する。これは経済的だが、システムの柔軟性が低い。

これに対して欧米型システムはPCやスマホのようにハードウェアは単純で、ほとんどの処理をソフトウェアで行う。これは計算機資源を食い、電池の寿命が短いが、新しいシステムで書き換えることが容易で、柔軟性が高い。

処理能力が貧弱なときはハードウェアで処理することが経済的だが、システム変更が困難なので現場の発言力が強く、縦割りになりやすい。今は情報機器でデジタル処理能力が大幅に拡大したので、なるべくソフトウェアで処理することが合理的だ。

日本人はながい平和の中で、人間関係を調整する洗練されたシステムを構築してきた。カーネマンも指摘するように、遅い思考(新しい脳)はコストがかかるので、エネルギーを節約するためにはなるべく速い思考(古い脳)で処理することが経済的だ。

日本型デモクラシーの限界

このようにボトムアップで意思決定が行われる「まつりごと」の構造を丸山眞男は「日本型デモクラシー」と呼んだが、日本人の特殊な行動様式ではない。むしろ主権国家がトップダウンの命令で動く近代西欧型システムが最近400年ほどの特殊なシステムである。

戦争の続いた西欧では人間関係の調整が困難なので、コストの高い遅い思考で処理するしかなかった。特に人種が多様で共有できる人間関係の希薄なアメリカでは、紛争を暴力(警察と司法)で解決することが社会のゆがみを生んでいる。

西欧以外では、親族や宗教や地域などの集団で行動するのが普通で、それを統合する主権国家は不安定な制度である。アフリカでも中東でも東欧でも、民族紛争がしばしば起こる。日本でも近世まで紛争が続き、全国を支配する指導者は生まれなかった。歴史上ほとんどの国家は縦割りだったのだ。

速い思考に依存する日本型システムが悪いとはいいきれない。戦争などの大きな環境変化がないときは、調整コストが低く効率的である。「空気」などの同調圧力は学校で勉強しなくても身につくので、国内では普遍性があるが、デジタル化やグローバル化にも向いていない。これを変えることは、意外に困難な問題である。