Adaptive Markets 適応的市場仮説―危機の時代の金融常識
きのうのシンポジウムでも「ゼロリスク」が話題になったが、人々はなぜゼロリスク原則で行動するのだろうか。これを「不合理なバイアス」と呼んでも説明にならない。本書はこれを進化論的なシミュレーションで説明する。

二つの村を考えよう:A村の人口は100人で、全員が期待効用最大化原理で行動し、リスク中立だとする。B村の人口も100人だが、こちらは全員がゼロリスク(ミニマックス)原理で行動するとする。

家畜を飼うと食糧が増えて4人の子孫を残せるが、50%の確率で感染症が流行して村は全滅する。家畜を飼わないと貧しく、子孫は2人しか残せないとする。子孫の期待値はどっちの場合も2人だが、A村ではリスクを恐れないで家畜を飼い、B村は感染症を恐れて家畜を飼わないとしよう。

感染症がまったく起こらないと、A村の人口は第2世代で400人、第3世代で1600人…と急速に増えるが、B村は200人、400人…と増えるだけなので、A村が繁栄する。ところが第4世代で感染症が起こると、A村は全滅するがB村は800人になり、このシミュレーションは終わってしまう。

これは非常に単純な例なので、一般的なモデルは本書の第6章を参照されたいが、直観的にいえるのは、集団が全滅するリスクのない環境ではリスク中立的な行動が合理的だが、全滅リスクの大きい環境ではゼロリスクが合理的になるということだ。全滅したら集団は消えるので、遺伝子も消える。全滅リスクをゼロにすることがすべてに優先するのだ。

そういう集団淘汰が、紀元前5000年ごろ起こった可能性がある、と最近の考古学は推定している。このような「ゼロリスク脳」は、人類が遺伝的にもっていた恐怖が文化的に補強されて共進化したもので、結果的にリスク回避的な集団が生き残ったと思われる。

集団でリスクをプールするしくみ

本書の本題は「適応的市場仮説」というファイナンス理論である。これは効率的市場仮説を否定して、人々の予想が適応的に決まるというもので、それ自体は新味はないが、これを「社会生物学」にもとづく人々の行動で説明している。

人々がリターンよりリスクに強く反応するのは、生物として生き残るために備わった恐怖という強い感情によるものだ。このため人々はリターンの期待値が同じでもリスクを回避し、不確実な投資をきらう。そういう行動は相乗効果を生むので、大暴落が起こる。金融当局は全滅するシステミック・リスクを避けるため、規制を強化する。

しかし危機が終わって平時になると、人々は効率的市場仮説の想定する合理的な行動をとるようになる。多くのトレーダーはその規制を過剰と考え、ある者は海外に脱出する。これは最初の例でいうと全滅リスクのない(ようにみえる)環境で、ここでは果敢にリスクを取る人が成功し、大きな富を築く。

金融危機が来ると、こういうリスク中立的な人は破滅するが、ミニマックス原理で行動していた人まで巻き込まれ、金融市場全体が極端にリスク回避的になる、という歴史が繰り返される。これは現代のファイナンスが密結合し、資産のリスクが分離できなくなっているからだ。

これをモジュール化し、全滅リスクを下げる必要がある。進化の中で生物は大きな集団でリスクをプールし、一部が滅びても一部が生き残るしくみをつくった。ファイナンスでも、多層的な意思決定とモジュール化した組織でリスクを分散する必要がある。