文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉
獲得形質は遺伝しない、というのは中学生でも知っている進化論の鉄則である。文化が遺伝するなどというと頭がおかしいと思われるだろうが、本書はそういうトンデモではない。著者はハーバード大学の進化生物学教授である。

ヒトの消化器は、霊長類の中でも特徴的だ。口の大きさはリスザル(体重1kg)ぐらいしかなく、歯も貧弱で生肉を噛み切れない。胃の表面積は体重が同じぐらいの霊長類の1/3しかなく、大腸も6割ぐらいしかないので消化能力が劣っているが、小腸の長さは他の霊長類と同じだ。

それはなぜだろうか。本書の答は、ヒトが道具や火を使う技術を学んだからだというものだ。特に火を使って大型動物の肉を焼いて柔らかくできたので、胃や大腸は小さくなった。しかし栄養分を吸収する小腸の機能は柔らかくなっても同じなので、短くならなかったのだ。

これは他の動物にはみられない特徴である。蟻や蜂が巣をつくる技術は遺伝によるものだから、一部の個体を他の場所に移しても、同じように巣をつくることができる。ところがヒトにはそれができない。現代人が無人島に残されると、動物を捕獲も調理もできないので餓死してしまう。

ヒトが石器を使うようになったのは300万年ぐらい前といわれるので、そのころから技術が人体の形を変えたと考えられる。これは獲得形質が遺伝したわけではないが、文化が遺伝形質の淘汰に影響を与えたことを意味する。そういう例は本書に多くあげられているが、そのうちもっとも重要なのが脳の機能である。

遺伝と文化の共進化

ヒトの赤ん坊の頭は産道より大きく、狭い産道を通ってくるため、頭蓋骨は十分癒合していない。これは他の類人猿にない特徴で、この脳容積の拡大は20万年ぐらい前に止まったが、その後も脳の記憶容量は増えた。大脳皮質のしわが増え、シナプスの密度が高まった。新生児の脳は生後1年で3倍になる。

このような遺伝的変化は、文化的に学習すべき知識が増え、それを記憶できない個体が淘汰されたためと考えることができる。このように親から子に伝達されて蓄積されることが文化の特徴で、このため脳はヒトの身体のなかでもっとも可塑性が高い。

他の動物は遺伝的なハードウェアでしか進化できないが、人間は文化的なソフトウェアで進化できるので、そのスピードは飛躍的に高まった。その結果、ヒトの身体的能力は退化し、文化なしでは生きられない動物になった。大きな脳→文化の発達→身体の退化という形で遺伝と文化の共進化が起こったのだ。

文化が進化するためにもっとも重要なのは、長期記憶である。猿の記憶は短く、親以外の顔は1週間たったら忘れるが、人間は複雑な記憶を一生保持する。日常の出来事をすべて記憶していては脳がもたないので、何が大事なことか判断して長期記憶に格納する能力で文化が蓄積されたのだ。

長期記憶で重要なのは、ものを信じる機能である。信じる行動は類人猿にはなく、ヒトでも4歳児以降にしかみられない。習慣を守ることが宗教や道徳などに分岐したが、共通の機能は決まったことを疑わないことだ。あらゆることを疑っていては、膨大な文化を記憶できない。

子供のころ習ったことを記憶し、他人をまねて行動することが、ヒトの脳の最大の機能だった。コミュニケーションの必要から言語が生まれ、そこから論理的思考が派生した。それは新石器時代以降の新しい脳の機能であり、生存の役には立たない。理性は人間の本質ではないのだ。