JBpressの記事が意外に読まれているので、テクニカルな問題を少し補足しておく。まず「集団免疫戦略」という言葉は正確ではない。集団免疫は政策目的ではなく、感染の結果である。わかりやすくいえば「ピークシフト」だが、これはあまり一般に使われていない。

専門家会議はこれについて5月1日の分析・提言で「感染の拡大を前提とした集団免疫の獲得のような戦略や、不確実性を伴うワクチン開発のみをあてにした戦略はとるべきでないと考える」と明確に否定した。

これは集団免疫が「感染拡大が望ましい」という誤解を与えるためだと思われるが、もちろん感染はしないほうがいい。新型コロナウイルスをゼロにできるならそれがベストだが、日本では不可能である。この場合、次善の策として次の二つの考え方がある。
  1. ウイルスを徹底的に封じ込めてゼロに近い水準を維持する
  2. 感染をゆるやかに拡大して医療資源の制約内に収める
現在の日本政府の公式の立場だと思われるが、それは維持可能だろうか。感染をゼロにするには、4月の緊急事態宣言よりはるかに厳重な外出禁止令を永久に続けなければならない。

2が感染症学界の主流であり、米CDCやWHOはcommunity mitigationと呼んでいる。この政策の問題点は、感染が拡大すると医療が崩壊するのではないかということだ。イギリス政府の方針転換の原因となったインペリアルカレッジ報告書の最大のポイントも医療資源の制約だった。

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イギリスの重症患者数とICUベッド数(インペリアルカレッジ)
これはmitigation(いわゆる集団免疫戦略)をとった場合に、重症患者数がどうなるかというシミュレーションである。ここでは何もしない(do nothing)場合には、重症患者が10万人あたり300人近くになり、ICUベッド数(下部の赤い直線)をはるかに超える計算になっていた。

ボトルネックは医療資源

だが、この計算は大きく間違っていた。集団免疫戦略で

 重症患者数>医療資源(1)

となるときは、一定の重症患者を見殺しにする「トリアージ」が必要になる。イギリス政府は「緩和」で死者25万人に抑えることにし、ジョンソン首相は3月12日に記者会見でそれを発表した。

この方針には「感染を放置するのは非人道的だ」という批判が集中したので、イギリス政府はロックダウンで感染を封じ込める方針に切り替えた。これが結果的には、世界の感染症対策の分岐点になった。日本政府の「8割削減」も、このイギリス政府の方針を踏襲したものだ。

しかしこの方針には理論的根拠はなかった。上の図でもわかるように、ロックダウンで感染を抑え込んでも感染期間が長くなるだけで、感染者の総数はほとんど減らない。集団免疫が実現するまで感染が続くからだ。

イギリスの死者は累計4万1000人。緩和戦略をとった場合の1/6で、感染は収束に向かっている。新規感染者数はピークだった4月上旬で7500人。その10%が重症患者として入院したとしても750人で、ICUベッド数(5000床)を下回る。

イギリスの医療はロックダウンで破綻した

ところがイギリスでは、ロックダウンの直後に患者が病院に殺到し、高齢者の死亡が増えた。結果的には、ロックダウンが医療資源を破綻させたのだ。初期にイギリスと同じ方針をとっていたスウェーデンは、その後も一貫して集団免疫になるまでゆるやかに感染を広げる方針をとったが、イギリスより死亡率は低い。つまり日本の専門家会議が想定した

 重症患者数≦医療資源(2)

という関係が、EUでも成り立ったのだ。

感染症対策で大事なのは(1)式になるかどうかである。今回はインペリアルカレッジの影響で各国で基本再生産数Roが過大評価され、(1)になる状況が想定されたが、現実には武漢やイタリアなどの例外的な感染爆発を除いてほとんど(2)だった。

ただし今後のパンデミックで(1)になる可能性は考えられる。感染が一段落した段階で、集団免疫や基本再生産数といった概念の見直しも含めて、科学的なチェックが必要である。