昨今の日本人のコロナに対する反応をみていると、日本人のゼロリスク体質は、ほとんど遺伝的なものだという気がする。もちろん文化が遺伝することはありえないが、最近の進化生物学では、文化的遺伝子(ミーム)は単なる比喩ではない。

たとえば最近よく話題になる「ファクターX」について、それが遺伝的な自然免疫だという説と、東アジアの「風土病」だという説がある。両者の中間として、東アジアの人々は毎年、中国から出てくるコロナ系のウイルスにさらされ、コロナに対する訓練免疫ができるというのが、宮坂昌之氏の仮説である。

この説によると、自然免疫は遺伝的な所与の機能ではなく、多くの免疫機能の中でどの機能が活性化するかは病原体の刺激で決まる。このためいろいろな病原体が多い(公衆衛生の整備されていない)国では自然免疫の強い個体だけが生き残るが、病原体の少ない先進国は感染に弱くなる。

これは感染によって抗体ができる獲得免疫とは違い、運動で筋力がつくのに似ている。筋力は遺伝しないが、肉体労働の激しい地域では筋力の弱い人は生き残れない。今回ヨーロッパで東アジアよりはるかに大きな被害が出たのは、コロナ系ウイルスにさらされた経験があまりなく、免疫力が訓練されていなかったためと考えることができる。

平和ボケは日本人の遺伝子

日本人のリスク回避体質も、かなり長い(少なくとも江戸時代以降の)免疫力のようなものだ。1930~45年の「特異期」を除くと、紛争をきらい平和を好む傾向は一貫している。集団の中でリスクを好む人を病原体のような異物として淘汰し、平和を守る「自己免疫」ができている。

このような文化が長期にわたって継承されると、それに適応できる遺伝的特徴をそなえた個体だけが生き残り、それによって文化が継承されやすくなる遺伝と文化の共進化が起こる。これは病原体と訓練免疫の関係に似ている。

そう考えると、憲法が改正できない理由もわかる。自衛権はあるが軍はもたないという論理的に成り立たない憲法を75年にわたって支えてきたのは、日本人のゼロリスクの遺伝子なのだ。それを変えようとした安倍首相も挫折し、彼が引退するまでに改正は不可能である。

このゼロリスク信仰は福島でも9年以上続き、豊洲では2年続き、コロナでは半年続いている。そして小池百合子氏のようなポピュリスト政治家は、この感情を利用する。日本人の「古い脳」に刷り込まれた平和ボケは容易に変わらないからだ。これが新たな長期不況をまねく最大のリスクである。