マックス・ヴェーバー――主体的人間の悲喜劇 (岩波新書)
マックス・ヴェーバーは1920年6月14日に(スペイン風邪で)死去した。その100年後の今月、中公新書と岩波新書で同じタイトルの本が出た(中公は「ウェーバー」)。中公のほうはよくも悪くも常識的な解説で、予備知識のない人には中公をおすすめするが、本書は異色である。

その特徴は社会ダーウィニズムとの関連でヴェーバーをとらえたことだ。社会ダーウィニズムといえば、今は人種差別の代名詞で、特にドイツではヒトラーと結びつくタブーだが、ヴェーバーは講義で「社会の生物学的・人類学的基礎」を論じた。

ただヴェーバーの人種という概念の理解はあやしく、彼はカトリシズムやプロテスタンティズムのような文化が遺伝すると考えていた節もある。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じた「カトリックの劣等性」には、明らかに差別的な意味があった。
『宗教社会学論集』の序文で、ヴェーバーはこう書く。
西洋で、しかもそこだけで、特定の種類の合理化が発展したことに気が付くとき、ここで遺伝的資質が決定的な土台を提供しているのではないかという仮説が、当然出されることになるだろう。筆者は、自分が個人的に、そして主観的に、生物学的な遺伝的素質の意義を高く評価する傾向にあることをここで告白する。(強調は原文)
メンデルの法則が確認されたのは1900年だから、当時はまだ「獲得免疫は遺伝しない」という学説が確立していなかったとはいえ、これは現代だったら大学教授の地位を追われるようなトンデモである。

ヴェーバーの「社会生物学」

だが当時は優生学が重要な学問で、どの民族が遺伝的に優秀かについて研究がおこなわれていた。それをヒトラーが「アーリア人」と「ユダヤ人」という図式に単純化して大量虐殺したため、戦後は優生学は抹殺されたが、科学的に否定されたわけではない。

その後もE.O.ウィルソンの社会生物学は「文化の進化」を論じるものだ。もちろんここで遺伝するのは文化そのものではなく、それを受け継ぐ学習能力だが、そういう集団淘汰(多レベル淘汰)があることも、最近ようやく通説になりつつある。

西洋だけで合理化が始まった原因は、戦争や疫病で死亡率が高く、集団を結集する「暴力装置」のためにローカルな共同体を超える普遍主義が必要になったためかもしれない。ヴェーバーの議論も荒唐無稽とはいえない。

むしろヒトラーやアメリカの黒人差別のおかげで、遺伝的要因を語ること自体が政治的タブーになっている現代が異常である。その意味ではヴェーバーの「社会生物学」を、従来の近代主義的な評価とは別の意味で再評価できるかもしれない。