疫病はながく人間の(戦争以外の)最大の死因であり、それが宗教を生み出したといってもよい。あらゆる未開社会にあるケガレの禁忌は、疫病を隔離する知恵だった。19世紀に細菌が発見されるまで疫病は人知を超えた謎だったので、呪術師は医師であり、この「ファクターX」を理解することが宗教(呪術)の原初形態だった。

レヴィ=ストロースも指摘したように、自然と文化の二項対立は、あらゆる文化にみられる普遍文法のようなものだ。彼はその起源を説明しなかったが、最大のモチベーションは死の恐怖だったと思われる。死を恐れない個体や集団は、数十万年の進化の中で淘汰されたからだ。

人々は外界のあらゆる物体や動物をトーテムとして分類し、死者をタブーとして隔離した。葬式や墓地は機能的には意味がないが、すべての社会で多大なコストが費やされる。それは人々が自然(死の世界)を恐れ、それを文化(生の世界)から隔離する儀式なのだ。

それをよく示しているのがキリスト教である。イエスはガリラヤで多くの人を癒やす奇蹟をおこなったとされるが、これは今でいうと偽薬による治療だろう。彼は病人や売春婦のような社会から隔離されている人と交わり、その聖なる能力を高めた。こうした不浄な人々にふれても死なないことで、その能力を示したのだ。

そして初期キリスト教団が拡大した契機は、2世紀に大流行した天然痘だった。ローマ帝国はこの不条理な災厄を解決できず、その権威を失ったが、キリスト教会は病院のような役割を果たして多くの信徒を集めた。といっても天然痘に治療法はないので、隔離して介護するだけだ。

医療従事者には天然痘が感染するので、教団では死者が増えたと思われるが、キリスト教徒の生存率は、普通のローマ市民よりはるかに高く、この「奇蹟」でキリスト教は信徒を爆発的に増やした。この原因は今も不明だが、最近の研究は、それは集団免疫だったのではないかと推定している。キリスト教徒は他から隔離されて共同生活し、互いに救護したので、結果として教団の中で多くの信徒が免疫をもち、彼らが感染を防ぐ役割を果たした。
天然痘の集団免疫率は90%近いので、信徒のほとんどが免疫をもつようになったと思われる。免疫をもつ彼らは、疫病の流行している地域に行っても感染せず、人々を看護することができた。彼らはローマ帝国の中に教会という「福祉国家」をつくったのだ、とマクニールは指摘している。

キリスト教徒の最大の義務は、病人の看護だった。薬も治療法もなかった時代には、ごく基本的な看護行為でも致死率を大きく引き下げた。1世紀にはカルトだったキリスト教は、2~3世紀に疫病の拡大とともに急成長し、最後はローマ帝国の国教になった。

黒死病が宗教改革を生んだ

初期教会の開かれた共同体の普遍主義は、カトリック教会では異教的な伝統と混じってローカライズされたが、14世紀に黒死病が流行すると教会の権威は失われた。多くの聖職者が病死し、「教会によって救われる」という教義に人々は疑問をもつようになった。

このときカトリック教会を批判して出てきたプロテスタントは、教会によって救われるという教義を否定した。人々を救うことができるのは神だけで、死後に誰が天国に行くかは人々の自由意思で決めることではないという宿命論は、ルターとカルヴァンの共通点である。

これは現代の自由主義からみると奇妙だが、黒死病で3人に1人が死んだ15世紀には、見えざる神への信仰のみによって救われるという教義は、免罪符で救済を売り物にするカトリック教会よりはるかに信用できるものだった。プロテスタントは、このような教義で結びついた軍事共同体だった。

差別は感染者を隔離するシステム

このように感染症を防ぐことが宗教の起源になったケースは多い。その顕著な例がカースト制である。これも天然痘の流行した古代インドで、職業集団の中で集団免疫を実現し、他の集団と交わらないことでリスクを減らしたものだ。

宗教が差別と一体になっているのは、このような感染者を隔離するシステムと考えると合理的である。日本の部落差別も、感染症にかかりやすい動物を扱う職業を隔離することが当初の目的だったと思われる。それが殺生は不浄なものだという仏教の倫理と結びついて差別が生まれた。

レヴィ=ストロースが明らかにしたように人類が外界を「差異の体系」として認識するのも、数十万年前からこのような隔離を繰り返してきたためだろう。感染症は、文化に深い影響をもたらしているのだ。