山中伸弥氏が「日本の感染拡大が欧米に比べて緩やかなのは、絶対に何か理由があるはずだ」という。彼はその理由をファクターXと呼んでいるが、具体的には語っていない。

そのために抗体検査が必要だというが、厚労省や東大の検査結果では0.4~0.6%で、ヨーロッパに比べてもきわめて低い。つまり集団免疫が成り立っていないことは明らかだ。

だとすると日本人の死者が少ない原因は、何らかの意味でコロナに対する免疫力をもっているためと考えられる(免疫力という言葉は要注意だが、ここでは自然免疫を含む広い意味での抵抗力の意味)。その原因として、最近あげられている説を紹介しよう。
  • アジア人のHLA(ヒト白血球抗原)などの遺伝的な特性:これは医学的には考えられ、論文も出ているが、ヨーロッパの調査ではアジア系の死亡率は白人より高い。これは所得などの要因も考えられるが、疫学的には遺伝的にアジア人がコロナに強いという統計データはない。

  • 他の種類のコロナウイルスに対してすでにもっていた抗体の交差反応:これは読売新聞が報じたもので、原論文はCellに掲載された。これも以前からある説だが、アジア人の抗体が100倍も強力だとは考えにくい。

  • 東アジアには早くからコロナ系ウイルスが入っていて免疫記憶ができた:これは児玉龍彦氏らのグループが発表したもの。免疫グロブリンのうち初期に対応するIgMと、それが分岐したIgGがあり、日本人にはIgGが多かったので過去に感染した経験があるという。これも考えられるが、そのウイルスが特定できない。

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  • BCG仮説:これは細胞性免疫による訓練免疫と考えられる。疫学的な検討は進んでおり、Miyakawa et al.は考えられる擬似相関の要因をすべてコントロールして、相関があるという結論を出している。

これらの要因は、競合的ではなく補完的だと思われる。一つの要因で100倍の違いを説明することは困難だ。東アジアの「風土病」だという説は、東欧や南米でも死亡率が低い原因を説明できない。むしろ西欧に固有の脆弱性と考えたほうがいいのかもしれない。

なぜ西欧と北米で被害が大きいのか

次の地図からも明らかなように、死者は西欧と北米に片寄っており、感染症の患者が最大のアフリカの死者が少ない。中南米もブラジルを除くと少なく、アジアも中国とイランとインド以外は少ない。東欧はロシア以外は少ない。

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人口比でいうと、大きな被害を受けた国は世界の少数派である。GDPでは世界の大部分を占め、文化的影響力も強いため「死者が少ないのはなぜか」と考えがちだが、むしろなぜこういう国が今回そろって大流行に見舞われたのかを考えたほうがいい。死者の多い国の共通点は
  • 公衆衛生が整備されて感染症が少ない
  • 予防接種の義務化をやめた
  • 西欧型のデモクラシー
20世紀の公衆衛生では、病原菌や寄生虫を駆逐して環境を清潔にすることが目的だったので、病原菌がいなくなると予防接種は必要なくなる。ペストやコレラのように致死率の高い感染症もほとんどなくなったので、副反応のある予防接種はしなくなった。

今でも一定の比率で感染症は起こるが、患者を治療する薬品や隔離して感染の拡大を防ぐ検査技術も発達したので、100年前のスペイン風邪のような大規模なパンデミックは起こらない。

大きいのは、デモクラシーの影響である。従来の感染症対策は、すべての子供に一律に予防接種して流行を防ぐものだが、病気が治療や検査で防げるようになると「反ワクチン派」も増え、パターナリズムではなく個人の選択にゆだねるようになる。

病気のリスクは個人の判断で負担すればいい。そのコストは公的医療保険のような社会主義ではなく、個人の医療費を保険会社が払うシステムにすればいい――というのがアメリカの医療制度だが、ここまで極端でなくても、社会保障負担に悩む西欧諸国は「自己責任」型のシステムに切り替えている。

それに対して途上国では治療も検査も発達していないので、政府が一律に予防接種することが安上がりだ。日本は先進国の中では例外的にパターナリズムの医療制度を維持している。国民皆保険という制度は、世界にもほとんどない。

そういうシステムは社会保障が手厚くなると国民負担が重くなり、将来世代の負担になるので、自己負担を増やして市場経済を導入するのが、今までの日本の医療改革の方針だったが、コロナはそれに見直しを迫っている。

西欧型デモクラシーがベストとは限らないという21世紀の制度間競争が、医療でも始まったのだ。それが誰も意識していない最大の「ファクターX」かもしれない。