インペリアル・カレッジのCOVID-19に関する報告書が16日に発表された。これはイギリス政府の集団免疫政策の根拠になったものだが、日本人にも必読なので、私の理解できた範囲で荒っぽく紹介する。この報告書は次のように要約されている。
2つの基本的な戦略が可能である。
  1. 流行の拡大を遅らせるが必ずしも停止しないことに焦点を当てた緩和(集団免疫):ピークの医療需要を減らしながら重篤な疾患のリスクが最も高い人々を感染から保護する。
  2. 感染の拡大を逆転させる抑制(封じ込め):患者数を低レベルに減らし、その状況を無期限に維持する
各政策には大きな課題がある。最適な緩和政策(疑わしいケースの自宅隔離、疑いのあるケースと同じ世帯に住んでいる人の自宅検疫、および重度の病気のリスクが最も高い高齢者などの社会的隔離を組み合わせること)は、医療需要のピークを2/3に減らし、死者を半分に減らせる

しかし結果として生じる緩和された伝染病は、数十万人の死と健康システム(特に集中治療室)が何度も圧倒される結果となる可能性がある。抑制を達成できる国にとっては、それは政策オプションとして残る。

これが報告書のコアである。緩和と抑制の違いは、抑制が実効再生産数Rをなるべく早く1以下にするために最大限のコストをかけるのに対し、緩和はR=1となる集団免疫状態を長期的にめざし、感染の拡大をコントロールすることだ(何もしないことではない)。

この報告書のシミュレーションでは、基本再生産数を2.4とした場合、感染の拡大は図1のようになる。縦軸はコロナの重症患者に必要なICU(集中治療室)のベッド数で、何もしない場合には、患者数は赤い直線で描かれたベッド数(人口10万人あたり8)の最大30倍になる。これを高齢者の隔離などで軽減すると、青い曲線のように8倍まで下げることができる。

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図1 「緩和」政策をとった場合の重症患者数とICUベッド数

それに対して全面的な社会的隔離などの規制で封じ込めると、図2のように一時的には感染の拡大を抑え込めるが、5ヶ月で封じ込めをやめると冬に感染爆発が起こり、患者数は緩和した場合より多くなる。つまりゆるやかに感染させてピークを夏にもってきたほうが死者は減らせるのだ。

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図2 「抑制」政策をとった場合の重症患者数とICUベッド数

封じ込めを永久に続けることはできない。集団免疫が成立するまで、感染拡大は止まらない。規制を解除すると患者数が増えるが、それが冬になると最悪なので、ゆるやかに感染を増やして医療の負担を軽減し、死者を最小化するのがイギリス政府の戦略である。

イギリス政府は「方針転換」したか

ところがこのレポートは今週になって修正され、最後の部分に「当面は抑制が有効な戦略だ」と付け足している。これを受けてジョンソン首相は学校の一斉休校などを命じ、これをマスコミは「方針転換」と報じたが、これは誤解である。

このレポートはドラフトの段階でイギリス政府関係者が見ており、「25万人が死亡する」というジョンソン首相の演説も、このレポートの数字だ。つまり先週の段階では、ジョンソン政権は強い行動規制をしないでゆるやかに感染させるという方針だった。

だがこの方針に世界中から批判が集中し、週末にはネット上で集団免疫をめぐる大論争が起こった。その大部分は「経済優先で患者を見殺しにする保守党政権は非人道的だ」と非難するものだが、これには誤解がある。

集団免疫という概念は中立であり、集団免疫が成立したときの感染者や死者は、基本再生産数が変わらない限り同じである。違うのはピークをどこに持って行くかによって医療機関の制約が変わることだ。

理論的には感染のピークを夏にずらす「緩和」戦略が合理的だが、これは数千万人が感染して集団免疫が夏に成立するという賭けである。集団免疫がいつまでも成立しない場合には、どんどん死者が増え続ける可能性がある。

「抑制」戦略はアドホックだが、当面は死者を減らすことができる。これを長期に続けることはできず、無理に続けると冬にピークが来るかもしれないが、そのままウイルスが消えるかもしれない。政治的には、こっちのほうが多くの人に支持される賭けだろう。

集団免疫にまかせて感染を緩和するというジョンソン政権の方針は、よくいえばイギリスの自由主義の伝統だが、悪くいえば感染の死者より財界の利益を優先するものだ。これが批判を浴びて、インペリアル・カレッジのレポートも結論が書き換えられた。

私の好みとしては集団免疫のほうが合理的だと思うが、その前提になっているRの想定が大きすぎるような気がする。日本や韓国の例をみると、感染症は単調に指数関数で拡大するわけではない。Rは1ヶ月ぐらいで1に近づき、それが反転するきざしは見られない。

イギリスも今はRが2以上だとしても、強い抑制措置をとれば1近くに下げられるかもしれない(その可能性はレポートも否定していない)。そうすると集団免疫の成立する感染者数も減り、医療の崩壊はまぬがれるかもしれない。