新型コロナは、日本では大きなリスクではない。感染力も致死率も季節性インフルエンザ並みだ。WHOの統計ではドイツの感染者は545人、フランスは423人となり、日本の364人を抜いた。日本の感染者は増えているが、重症患者は27人で死者は6人。「感染爆発」が起こる状況ではない。

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それに対してインフルエンザは毎年流行し、1100万人が感染した昨シーズンは3000人が死亡した。インフルの客観的リスクを感染者で比較するとコロナの3万倍、死者では500倍だが、人はインフルよりはるかにコロナを恐れる。それはインフルが既知の危険(known unknowns)であるのに対して、コロナが未知の危険(unknown unknowns)だからである。

インフルは毎年起こるので死者も予想できる(平均1000人)が、コロナの死者は激増して1万人を超えるかもしれないし、10人ぐらいかもしれない。そういうとき人は、最大の危険を最小化するミニマックス原理で行動する。こういう不確実性回避のバイアスは、1960年代からエルズバーグ・パラドックスとして知られている(リスク回避とは違う)。

インフルは予防接種で防げるが、大人の25%しか予防接種を受けない。これは75%の人にとっては、インフルの主観的リスクが予防接種のコスト(8000円程度)より小さいからだ。ところがコロナについては、人々は旅行や会合をキャンセルするコストが何万円になっても気にしない。それだけ心理的な不確実性プレミアムが大きいからだ。

最悪の場合の利益を最大化する

こういう場合に人々がどう行動するかを説明するのがミニマックス原理である。エルズバーグの1961年の論文では、次のような実験をした:
二つの壺があって、中に赤と黒の玉が入っている。壺Aには赤と黒の玉が50個ずつ入っていて、壺Bにも両方の玉が合計100個入っているが、何個入っているかわからない。赤が100個で黒がゼロかもしれないし、その逆かもしれない。ここで目をつぶって壺Aから玉を1個をとって赤だったら1万円もらえ、壺Bから取って赤だったら1万円もらえるとすると、どっちの壺を選ぶか?

この壺Aと壺Bで赤の玉が出る確率は、普通の確率論ではどっちも0.5だが、実際の被験者は2:1ぐらいでAを選ぶ。つまり100個か0個かわからない壺より50個の壺を選ぶのだ。これは普通の確率論では説明できないが、それを説明するのがミニマックス原理である。

壺Bは最悪の場合、赤の玉がないので何ももらえないが、壺Aは最悪の場合でも50個あるわけだから半分の確率でもらえる。つまり最悪の場合にいくらもらえるかと考えるのだ。もし壺Aに入っているのが赤の玉だけだったら賭けに必ず勝てるのだが、多くの人はそう考えない。

これがインフルよりコロナを恐れる心理の説明である。インフルでは毎年1000人ぐらい死ぬことがわかっているので、それで死ぬ確率は12万人に1人ぐらいだが、コロナの感染率も致死率もわからない。それは今は7人だが、感染爆発で死者が激増するかもしれない。最悪の場合には1万人死ぬとすると、コロナはインフルより恐い。

普通の人がこのように確率を考えているわけではないが、最悪の場合にそなえるのは人間の自然な感情である。平均値や確率などという概念は、ほとんどの人にはわからない。わからないときは最悪の感染爆発を想定して最大の防護をし、それが空振りに終わってもいいと考える。

これはそれなりに合理的な考え方だが、最悪の事態にそなえるコストが今回のように大きい場合は費用対効果を考えなければならない。死者7人程度の感染症で、GDPを何兆円も失っていいのか。どの程度の病気ならどの程度のコストが許されるのか――そういう計算も感染症対策には必要である。