疫病と世界史(上下合本) (中公文庫)
新型コロナをめぐる騒ぎで私を攻撃してくる人々は「新型コロナには特効薬がないから怖い」と恐れている。治療法も予防法もなかった古代には、こういう未知への恐怖はもっと大きかったに違いない。

ローマ帝国では西暦165年ごろから疫病が大流行し、帝国の人口の1/4から1/3が死んだと著者は推定する。その病名は不明だが、天然痘か麻疹(はしか)ではないかと考えられている。

疫病は大量死という点では戦争と同じだが、その原因をコントロールできない。戦争は国家によって防げるが、疫病は隔離するしかなかった。細菌もウイルスも目に見えないので、ある人は急に病に倒れ、ある人は生き残るのはなぜか。ローマ帝国の多神教でも合理的な自然哲学でも、その原因は説明できなかった。

こういう状況で、キリスト教は急速に信者を増やした。それは目に見えない神を信じる者だけが天国に行けるという非合理主義だったが、死に意味を与えることはできた。キリスト教徒は他から隔離されて共同生活し、互いに救護したので、結果として免疫ができて生存率が上がったと推定される。

キリスト教は疫病から生まれた

このような開かれた共同体が、初期キリスト教会の特徴だった。疫病によって地域は崩壊し、人々は共同体を離れて安全な場所に移動した。キリスト教徒はローマ帝国の各地を旅し、誰でも自由に参加でき、その中では信仰だけで結びついて助け合う共同体を形成した。彼らはローマ帝国の中に教会という「福祉国家」をつくったのだ。
キリスト教徒が同時代の異教徒に対して持っていたひとつの大きな強みは、悪疫の荒れ狂っている最中であろうとも、病人の看護という仕事が彼らにとって自明の宗教的義務だったことである。通常の奉仕活動がすべて断たれてしまった場合には、ごく基本的な看護行為でも致死率を大きく引き下げるのに寄与するものである。(上巻199~200ページ)
もう一つのキリスト教の強みは、死をこの世の苦しみからの救済と考える教義だった。しかもその救済はすべての人に与えられるのではなく、神を信じる者だけの特権だった。カルタゴの司教だったキプリアヌスは、251年に疫病をたたえてこう書いている。
死の災厄のうちにわれわれの多くの者が死んでいく。つまりわれわれの多くの者がこの世界から解放されていくのである。この死の災厄は、ユダヤ人とキリストの敵たちにとっては、ひとつの災いである。だが神のしもべたちにとって、これはひとつの幸運な出発である。[...]正しき者は新たなる生へと召され、よこしまな者は責め苦に処される。(上巻201ページ)
こうして1世紀にはカルトだったキリスト教は、2~3世紀に疫病の拡大とともに急成長し、最後はローマ帝国の国教になった。キリスト教は地域を超えた普遍的な歓待によって信者を増やし、彼らを弾圧したローマ帝国を乗っ取ってしまったのだ。

初期教会の開かれた共同体の普遍主義は、カトリック教会では異教的な伝統と混じってローカライズされたが、14世紀に黒死病が流行して地域の共同体が崩壊すると、プロテスタントは信仰によってのみ結びつく普遍主義に回帰した。戦争や疫病で人々が離散するとき、信仰共同体としてのキリスト教は成長するのだ。