ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革
マルクスが指摘したように私有財産は資本主義の必要条件だが、社会的な浪費と不平等をもたらす。それは財産を所有する者に、利用する権利と同時に独占する権利を認めるからだ。たとえば東京都心に広大な空き地があっても、地主が同意しないと売却できない。

この問題についての答は、論理的には存在する。地主に土地の評価額を自己申告させ、それに応じて資産課税するのだ。たとえば自分の土地の正しい価値を1000万円と評価する人は、売りたくなければ1000万円以上の評価額を申告すればいいが、税は高くなる。評価額を1000万円以下と申告すれば税は低くなるが、正しい価値以下で売らなければならない…と考えると、正しい価値を申告することが合理的になる。

こういう「自己申告土地税」の発想は孫文の時代からあったらしいが、一度も実施されたことはない。政治的に不可能だからである。こういう制度は日本の固定資産税のように税率が低いと機能しないので、高い税率が必要だ。本書は年7%の資産課税を提案しているが、これだと15年で土地が没収されることになる。

政治的に不可能な制度設計にも意味はある

本書は私有財産という制度をラディカルに変革する制度設計のように書いているが、そのスコープは土地や金融資産などに限られ、知的財産権などの無形資産には適用できないので、それほどラディカルではない「高率の資産課税」の提案にすぎない。そういう提案はピケティなど今までにもあるが、国際的な資本逃避を考えると現実性はまったくない。

私有財産が独占権を含むことに問題があるというのもマルクスが指摘したことだが、彼はこの問題を労働者の「社会的所有」で解決しようとした。もし最適な資産価格がわかっていれば、この発想は成り立つが、現実には生産手段や土地の国有化は悲惨な結果を招いた。国家には正しい価格がわからないからだ。

本書は国家の代わりに自己申告で最適配分を実現しようという制度設計で、一種の分権的社会主義ともいえるが、これが機能するには資産の所有者が正しい価格を知っている必要がある。オークションはそれを「競り人」が実現するしくみだが、それなしの自己申告制で正しい価格が発見できるとは思えない。

ただ電波オークションのように政府が仲介する場合は、理論的には可能だ。だが電波の価値を今の免許人に自己申告させ、その7%の「電波税」をかけると、非効率的に電波を使っているテレビ局は電波を売らざるをえないので、絶対に反対するだろう。

本書はその他にも、一人一票ではなく投票権を他人に売却する制度など、政治的な実現性を考えない制度設計をいろいろ提案している。それを非現実的だと批判するのは野暮だろう。ロナルド・コースが1959年に電波オークションを提案したとき、それが実現するとは誰も考えなかった。本書も遠い将来には、何かのヒントになるかもしれない。