きのうこういう論争が、水野弘道氏(GPIF最高投資責任者)と山崎元氏(国家公務員共済組合連合会資産運用委員)の間で繰り広げられた。水野氏のいうようにESG(Environment, Social, Governance)投資が流行していることは事実だろう。

しかしそれが投資理論として成り立たないことは、山崎氏のいう通りである。少なくとも効率的市場仮説による限り、「環境にやさしい」などの収益以外の基準で運用の対象を制限して、収益を高めることはできない

たとえばあるファンドが収益最大化の基準で組んだ100社のポートフォリオから、ESG基準で石炭を使う10社を排除したとすると、残りの90社からなるポートフォリオが、もとの100社より高い収益を上げることは論理的にありえない。もし高い利益を上げたら、100社のファンドは収益を最大化していなかったことになる。

これは多くの実証研究のデータでもわかっており、ESGが収益を改善する効果は統計的に有意ではない。地球環境を守るのは政府の仕事である。ファンドマネジャーの社会的責任は投資家の収益を最大化することであり、投資家のカネを収益以外の目的に使うのはモラルハザードである。

これがフリードマン以来の経済学の通説だが、ESGは「当社は地球環境を考えている」というイメージを売り込む役には立つ。投資家が私企業の株主ならそういうセールストークで資金を集める営業もいいが、GPIFではやめていただきたい。

ESG投資というバブル

山崎氏もいうように、これはファンドマネジャーが環境問題を考えなくてもよいという意味ではない。一市民として彼が環境問題を考えるのは結構なことであり、ファンドマネジャーが投資先の企業に「環境に配慮せよ」と求めるのも正しいが、GPIFがポートフォリオから石炭を使う企業を外して収益を下げることは、年金の被保険者に対する背信行為である。

水野氏によると、ESG投資は「長期の収益を重視する投資」だというが、もし石炭が将来の規制強化で不良資産になるとGPIFが予想しているのなら、それは長期の収益を基準にしてポートフォリオを組んでいるのであって、ESGはそれを正当化する飾りにすぎない。

ネガティブ・スクリーニングでもっとも多い業種は、武器、タバコ、原子力である。この基準は収益ではなく企業イメージだろう。顧客がこういう企業に投資するとイメージが悪くなるというなら、それに合わせてスクリーニングすることには営業的な意味があるが、GPIFには無意味である。

奇妙なのはESG投資が原子力を排除していることだ。客観的な指標でみると原子力は化石燃料よりはるかに環境負荷が低いのに、これを排除する理由は「原子力規制に不確実性が大きい」という。それなら日本政府は原子力を推進すればいいわけだ。これも非論理的なイメージ戦略にすぎない。

多くのファンドがESG基準で投資しているから、それに便乗すると高い収益が上がるというなら、それはESGというバブルに投資しているのであり、長期の投資としては好ましくない。GPIFのような公的なファンドがこういうバブルをつくると、株式市場全体がESG銘柄をはやして値を上げる。これはGPIFが買い支える限り続けられるので自己実現的だが、一種の株価操作である。