日米地位協定-在日米軍と「同盟」の70年 (中公新書)
独立国の中に外国の軍隊の基地が置かれているのは、異常な事態である。第二次大戦までは、外国の軍隊が駐留しているのは植民地か保護国だった。したがって「日本は今も軍事的にはアメリカの植民地だ」という共産党などの批判は正しい。

その根拠になっているのは日米地位協定(当初の行政協定)だが、これは終戦直後の東アジアで戦争の危機が切迫していた時期に、日本が再軍備するまでの暫定的な「駐軍協定」としてはやむをえない面もあった。問題はそれが本質的に改正されないまま、今日に至っているのはなぜかということだ。

最大の原因は、ほんらい暫定的なものだった憲法が改正できないことだが、問題はそれだけではない。その条文は米軍に治外法権を認めるような異例の規定だが、日米政府はこれを日米合同委員会の合意議事録という密約で「解釈改正」 してきた。

地位協定こそ日米同盟の本質

地位協定は安保条約の付属協定ぐらいに思われているが、逆である。講和条約後も米軍の占領統治を継続する地位協定こそ日米同盟のコアだったのだ。丸山眞男は1952年に日米行政協定(現在の地位協定)についてこう指摘した。
時間的または論理的には、講和条約―安保条約―行政協定という順序ですが、むしろアメリカ政府の狙いからいえば、行政協定あってこその安保条約であり講和条約なので、そのことは岡崎・ラスク会談による行政協定締結の見透しを俟ってはじめてアメリカ上院が講和条約の批准をとり上げていることからも明瞭です。(「『現実』主義の陥穽」)

いまだに沖縄で問題になる米軍の軍人・軍属の犯罪についての刑事裁判権は、日米行政協定では日本政府にあることになっていたが、1953年の合意議事録で日本側が「実質的に重要」な事件を除いて裁判権を行使しない方針を口頭で表明した。この議事録は2000年代に公開されたが、この密約は今も有効である。

1960年に行政協定は改正されて地位協定になったが、このときアメリカ側は刑事裁判権については改正を拒否した。これに日本が妥協して、合同委員会による合意で協定を運用する方式が踏襲された結果、実質的に米軍が治外法権をもつ規定が残った。

このような問題は、米軍基地が縮小された本土ではそれほど大きな争点ではなくなったが、1972年の沖縄返還後に、相対的に比重の大きくなった沖縄の基地に問題が集中した。この時期は日米貿易摩擦が激化した時期で、アメリカからは日本が米軍の駐留経費を負担するよう求める声が強まった。

米軍の駐留経費については、地位協定では日本の負担は軍用地の接収費用と軍用地主への補償に限定していたが、これについても合同委員会で「覚書」がかわされ、これが思いやり予算の原型となる。

この名前は金丸防衛庁長官が「思いやりの立場で、地位協定の範囲内でできる限りの努力を払いたい」と答弁したのがもとだが、その後も合同委員会でなし崩しに範囲が拡大され、今では毎年約2000億円(駐留経費の75%)を日本が負担している。

密約で維持される不平等条約

日本の基地負担がずるずると増える最大の原因は、1950年代の状況から大きく変化した東アジア情勢の中でアメリカが既得権になった米軍基地に固執し、それを日本が合意議事録という密約で認めてきたことだ。

憲法改正に熱心な安倍首相も、地位協定にはまったく言及しない。これには日米の複雑な「貸し借り」がからんでいるので、へたにいじると「パンドラの箱」があいて日米関係をゆるがすと心配しているのかもしれない。

しかし憲法が戦後日本の「表の国体」だとすれば日米同盟は「裏の国体」であり、地位協定はそのコアである。これに手をつけないで第9条だけをいじってもしょうがない。逆にいうと憲法を改正しなくても地位協定を改正すれば、日米同盟という不平等条約を実質的に改正できる。

著者も提言するように、日米合同委員会を廃止して密約をなくし、地位協定を透明で対等な条約にすべきだ。明治時代に国家の総力をあげて不平等条約を改正したエネルギーを取り戻してはどうだろうか。