産経新聞が、また女系天皇を否定するコラムを載せている。「男系男子」の皇室典範を守れというのが社論なのだろうが、その根拠に「神武天皇から今上天皇まで126代にわたる天皇の系図」をあげるのはいただけない。これは聖書を根拠にして進化論を否定するようなものだ。

保守派が「男系天皇」に執着する理由がよくわからない。産経も認めるように、天皇家が男系で継承されるべきだという論理的な根拠はなく、女系なら女系で一貫していればいい。日本古来の伝統は天照大神でも明らかなように女系であり、男系は中国から輸入した儒教思想である。それもかつては王位継承をめぐる戦争を防ぐ意味があったが、今は「系図がごちゃごちゃする」という程度の問題でしかない。

そもそも天皇家が古代から「万世一系」だったという根拠がない(したがって「例外なく男系で継承した」という根拠もない)。「天皇」とか「日本」という称号ができたのは天武天皇の時代であり、それまでの「大王」は一つの家系ではなく、多くの氏族が戦争や離合集散を繰り返す状態だった。本郷和人氏はこれを「ウルトラマンファミリー」にたとえている。

1966年に「ウルトラマン」が放送され、翌年「ウルトラセブン」が放送されたが、これは当初まったく別のシリーズだった。その後「ウルトラマンエース」や「ウルトラマンタロウ」や「ウルトラの母」などが創作され、これが後にウルトラマンファミリーになった。「天皇ファミリー」もこのように多くの氏族を統合する物語なのだ。

多くのファミリーが併存した歴史

大王が天皇になる過程には定説はないが、おおむね次のように大きく3段階にわけられる(呼び方は研究者によってさまざま)。

 ・崇神天皇(~紀元前29年)に始まる初期ヤマト王権
 ・応神天皇(~310年)に始まる「河内王権」
 ・継体天皇(~531年)に始まる「近江王権」

このうち日本書紀では(神武天皇から9代を除いて)崇神天皇が最古の天皇とされているが、その実在は確認されていない。『日本書紀』の記述によると崇神天皇の寿命は168歳であり、複数の王を合成したものと考えられる。

応神天皇の時代には王権がヤマトから河内(難波)に移動して多くの政権が統合され、朝鮮半島への進出や朝鮮からの技術者の流入が起こった。この時期に前方後円墳がつくられ、統一国家の王の権威が高まった。

継体天皇以降が天皇家につながる家系とされているが、応神天皇と継体天皇は5代へだてており、その間の名前は不詳である。継体天皇が即位してからヤマトに入るまで20年かかったと書かれていることから、河内王権とはつながっていないと考える研究者が多い。

実在が確認できるのは舒明天皇(~641年)以降だが、壬申の乱までは王位をめぐる内紛が続いた。それに勝利した天武天皇が『日本書紀』で天皇家を正統化したが、王権の実態は多くの氏族の連合国家だった。その後の天皇家は男系で継承されたことになっているが、当時の日本の多くの氏族は女系だった。

むしろ本郷氏も指摘するように、日本では父系か母系かという血縁集団より「家」という機能集団を維持することが最大の目的だった。全国各地に多くのファミリーがあったが、それを戦争で征服した場合も、滅ぼさないで併合した。天皇家はそういうファミリーの連合体の名称だったのだ。