イスラム2.0: SNSが変えた1400年の宗教観 (河出新書)
イスラム原理主義は狂信的なテロリストとしか見えないが、コーランには「神も終末も信じない者と戦え」と書かれている。日本では、この点を曖昧にして「本来のイスラムは平和的だ」という人が多いが、むしろ本来のイスラムの教義にもとづくジハード(聖戦)を各国政府が抑圧してきたのだ。

その抑圧がはずれたのが、2010年代の「アラブの春」だった。独裁政権が崩壊して民主化するという期待とは逆に、政府の権力が弱まって国内が混乱すると「イスラム国」のような原理主義の活動が強まった。これを著者は「イスラム2.0」と呼ぶ。

従来のイスラム1.0は、コーランやハディース(ムハンマドの言行録)の解釈の体系だった。そのテキストは膨大で、ほとんどのイスラム教徒は文盲だったので、その解釈は法学者が独占していた。ところが識字率が上がり、インターネットの普及でコーランなどを直接読むことができるようになり、一般の信徒が「真の神の教え」に目ざめたのだ。

これはキリスト教の宗教改革に似ている。カトリック教会でもラテン語訳の聖書は教会にしかなく、説教もラテン語で行われたので、一般の信徒にはお経を聞くようなものだった。しかし聖書のドイツ語訳が印刷されると、多くの信徒がそれを読んで教会の教えに疑問を持ち始めた。イスラム原理主義は、キリスト教の歴史を500年遅れで繰り返しているのだ。

イスラムは不寛容を脱却できるのか

世界のイスラム教徒は約16億人で総人口の23%を占め、キリスト教徒の24億人と合計すると人類の半分を超えるが、どちらも起源はユダヤ教にある。地中海の東岸に生まれたセム系の一神教という特殊な宗教がこれほどの多数派になったのは、異教徒に対する不寛容が原因だった。

ほとんどの宗教では他の宗教がどんな神を信じていようと気にしないが、イスラム教は世界に唯一の神があると考え、それを信じない異教徒と戦って勝利した者が天国に行けると考える。死を恐れない宗教は戦争に強い。イスラム教に聖職者はいないので、コーランの教えが絶対である。これは教会の権威を否定して聖書の教えを絶対化したプロテスタントに似ている。

グーテンベルクの活版印刷がプロテスタントを生んだように、今インターネットがイスラム原理主義を生んでいるとすると、彼らのテロは長期にわたって続くおそれが強い。ルターが「95ヶ条の論題」で宗教改革を開始したのは1517年だが、ドイツの宗教戦争は1871年にドイツ帝国が生まれるまで続いた。

イスラム教徒の出生率は高いので、2070年にはキリスト教徒を抜いて世界最大の宗教になると予想されている。この戦いは、日本にも持ち込まれるおそれが強い。ヨーロッパで宗教戦争を終わらせたのは、ルターの宗教的情熱ではなくエラスムスの寛容だった。イスラムに原理主義のルターは多いが、今のところエラスムスはいない。