官僚のブラック労働の最大の原因は与野党なれ合いの「国対政治」だが、官僚が一方的な被害者というわけではない。日本の役所の最大の問題は、その完璧主義と無謬主義である。これは彼らが「天皇の官吏」として間違いを許されなかった明治憲法からの伝統だろう。

20年ほど前、役所で同僚になって印象的だったのは、官僚の強いエリート意識だった。政治家や大学教授を「先生」と持ち上げるが、裏に回ると「おれのほうが知っている」という。政治家には「レク」で根回しし、法案の中身は官僚が決めてしまう。審議会の答申も官僚が決め、会合でも「事務方」が延々と説明する。

そのエリート意識の源泉は、東大の知的権威だった。「通産省が日本株式会社を指導する」と言われた時代も役所にそれほど法的権限はなかったが、知的権威で業界を指導し、業界団体に天下ってロビイストとして活躍した。それはウェーバー的な合理的官僚ではなく、科挙官僚のように精神的権威で庶民を指導する東洋的エリートだった。

他方で明治憲法の時代から、政治家には実質的な権限があまりなかった。帝国議会には政府の提出した法案に「協賛」する権限しかなく、1930年代には政府や軍部から干渉を受けることも多かった。それに対する反省から新憲法では国会は「国権の最高機関である」と定められたが、実態はあまり変わらなかった。

続きは11月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。