興亡の世界史 シルクロードと唐帝国 (講談社学術文庫)
シルクロードといえば、ほとんどの日本人はNHKの番組ぐらいしか知らないだろうが、それはかつては「東西文明を結ぶ道」ではなく、世界史の中心だった。著者によれば、世界史は次の8段階に分けられる。

 1.農業革命(1万1000年前~)
 2.4大文明の時代(5500年前~)
 3.鉄器革命(4000年前~)
 4.遊牧騎馬民族の時代(3000年前~)
 5.中央ユーラシア型国家の時代(1000年前~)
 6.火薬革命(500年前~)
 7.産業革命(200年前~)
 8.自動車と航空機の時代(100年前~)

このうちわれわれがよく知っているのは6以降の時代である。その最大の特徴は、銃や大砲などの火器が最強の武器になった時代だが、それまで3000年にわたって最強の武器は馬だった。戦争だけではなく、移動や情報伝達、あるいは商取引や経済においても、馬の能力は圧倒的だった。

この時代は中国史では、唐宋変革として知られる国家統一の時代だった。それまで各地を分割していた異民族を統一する王朝が生まれたというのだが、それを統一したのは漢民族ではなかった。唐を建国した李淵(高祖)は鮮卑系の遊牧民で、それが後のモンゴルに至る遊牧民の国家の始まりだった。

漢民族に同化して「唐民族」になった遊牧民

このとき唐と戦ったのは、突厥(とっくつ)帝国だった。これはテュルク系の遊牧民の国家で、6世紀から今のモンゴルを含む中央ユーラシアを支配したが、今では知っている人はほとんどいない。それは彼らが滅亡したからではなく、漢民族に同化したからだ

この時期の中国には漢の滅亡以来、多くの民族が侵入し、高句麗、契丹、ウイグル、チベットなどの民族がいたが、そのうちもっとも早くから中国本土に移動していた鮮卑と匈奴が中心になって建国したのが唐だった。

618年に李淵が長安で皇帝に即位したとき、唐は東突厥の属国だったが、次第に両者の勢力は逆転し、李世民(太宗)は突厥を倒した。このとき100万人以上の突厥人を自国民として同化した。この時期に他の遊牧民も唐に同化した。これは漢の時代の農耕民とは違う広義の漢民族なので、「唐民族」と呼んだほうがいい。

遊牧民に固有の文化はなかったので、彼らは中国の伝統文化に同化し、政治理念としては儒教にもとづく律令、宗教としては中国の土着信仰にもとづく道教(老荘思想)や中国化した仏教になじんだ。いずれも漢文で伝承されていたので、唐は「漢化」した。

中国史の最大の分岐点になったのは、755年の安史の乱だった。安禄山はモンゴル系のソグド人だったが、部下に暗殺され、唐とウイグルの連合軍が勝利を収めた。しかし中国の西半分は「異民族」の支配下に入り、これによって遊牧民が「中央ユーラシア型国家」を形成するようになった。

この時期にはまだ多くの遊牧民がユーラシア大陸を支配していたが、それがのちにモンゴル帝国になる。国家としても空洞化した律令制度から、間接税中心の租税国家に変わってゆく。