世襲の日本史: 「階級社会」はいかに生まれたか (NHK出版新書)
現代の常識では、世襲は悪で、実力主義が善である。リーダーが世襲で決まるのは前近代的な血縁集団で、実力で決まるのが近代的な機能集団だといわれているが、現実にはその優劣はそれほど自明ではない。安倍首相もトヨタ自動車の豊田章男社長も世襲である。二代目が劣っているなら、とっくの昔に選挙や市場で淘汰されたはずだが、そうなっていない。

東アジアの中で、日本は世襲がもっとも長く続いた国である。中国では10世紀ごろから、科挙によって実力主義の官僚制ができたが、それは日本には輸入されなかった。その最大の原因は、同じ時期に日本社会で発達した「家」の原理と相容れなかったからだ、と著者は考える。

古代社会は小さな親族集団の連合体を天皇家を中心とする「氏」としてまとめるしくみだったが、中世以降の「家」は武士を中心とする超血縁的な機能集団だった。 そのリーダーは長男が世襲することになっていたが、男が生まれなければ他の家から養子をとることは珍しくなかった。問題はDNAの連続性ではなく、家の連続性だったのだ。

天皇家は「ウルトラマンファミリー」

普通は「世襲」というと血縁でつながる家系を思い浮かべるが、古代の天皇(当時は大王)は、代々血がつながっていたかどうかもはっきりしない。5世紀まではばらばらの王家が戦争で離合集散していたものと思われ、古墳の被葬者も天皇かどうかわからない。

これはテレビのウルトラマンに加えてウルトラセブンができ、そのあとウルトラマンタロウなどの番組がつくられたように、天皇家もいろいろな家系が後から日本書紀で一つにまとめられた「ウルトラマンファミリー」のようなものだという。

どんな社会でも、最小の単位は家族で、それを拡大した血縁集団ができるのも同じだが、その形は違う。 中国ではこれが男系で相続される直系家族という形をとり、それを拡大した外婚制の父系親族集団(宗族)が社会の中核となった。その特徴は同じ姓を同族とみなし、その集団内では結婚できず、男系で相続することだった。

日本でも天皇家には男系の伝統が残っているが、実際には平安時代まで女系の伝統が強く、藤原氏は代々天皇家を婿として取る「招婿婚」で権力を維持してきた。形式上は男系だが実際には女系の家で天皇家が継承され、統治の中心は家族だった。

この矛盾は天皇と武士の対立が大きくなると表面化し、武士は天皇から政治権力を奪い、男系の拡大家族としての「家」が実質的な権力をもつようになった。そのリーダーは血縁を継承している必要はなく、武装集団を統率する能力が必要だったので、養子が多かった。

これは一種の実力主義ともいえたが、江戸時代にながく平和が続くと身分が固定され、貧しい家が挽回するチャンスがなくなった。そういう下級武士の不満が爆発したのが明治維新だった。明治政府の首脳は成り上がり者ばかりだったので世襲を否定し、科挙に似た高等文官制度を導入した。その原因は、戦争による植民地化の危機が迫っていたからだった。