腐敗と格差の中国史 (NHK出版新書)
習近平政権では、よく「腐敗の追放」と称して幹部が粛清される。その実態は派閥抗争だが、海外に数千億円の資産をもっているといった桁違いの腐敗が報じられる。中国は伝統的に、と呼ばれるごく一部の特権階級と、と呼ばれる圧倒的多数の民衆の格差社会なのだ。

士は伝統的には世襲の貴族だったが、10世紀ごろから科挙で選ばれた官僚が「士大夫」と呼ばれるようになった。しかし科挙で選ばれるは1万人に一人ぐらいの秀才で、全国を転勤するので、地元のことはわからない。そこで地元で(日本でいうとノンキャリアの)が雇われ、ほとんどの実務は吏がやるようになった。

官には俸給が払われたが、吏は無給だったので民衆から賄賂を取った。中国では腐敗が制度化されたのだ。官の選抜は厳格だったが、吏は官のコネで雇われたので、士大夫に寄生する数万人の宗族(父系の疑似親族集団)ができた。吏は民衆から賄賂を取って一族に分配することが義務になり、腐敗は組織的で大規模になった。

子供の教育は最高の投資

このように制度化された腐敗は中国の社会に根づき、それを根本から腐らせてしまった。「三年清知府、十万雪花銀」という言葉があった。知事を3年清廉につとめれば、その一族はみんな遊んで暮らせるので、官僚になることはもっとも収益率の高い投資だった。

ただ誰でも科挙に受かるわけではないので、1万人に1人の秀才を育てる教育投資を一族でやらなければいけない。共同で金を出し合って秀才に家庭教師をつけ、古典の教養を叩き込み、科挙の試験を受けさせる。その中から一人が官になったら、投資を回収するのだ。

したがって宗族は従来いわれていた親族集団というより、共同で教育投資をする機能集団という意味合いが強い。儒教も学問としては意味のない学歴エリートのシグナリング装置であり、その精神性は時代とともに失われ、形骸化した。

他方、日本には中国のような中央集権的な官僚機構ができなかった。武士の仕えた「家」は、もとは農民の自衛するローカルな武装集団だったので、官と吏のような大きな格差はなく、大規模な腐敗も発生しなかった。このため武士はアジアでは例外的に清潔な官僚機構になり、これが日本の近代化の重要な原因となった。

科挙が廃止されたのは1905年、実に1300年ぶりの改革だった。その最大の原因は、明治維新で西洋の技術を導入した日本に、日清戦争で清があっけなく敗れたからだ。王朝が交代する「革命」という言葉も、このころからrevolutionの意味で使われるようになった。日本が中国の近代化に果たした役割は意外に大きいのだ。