韓国「反日主義」の起源
近代の日本史に抜けているのは、朝鮮半島の歴史である。朝鮮は日本の一部だったのだから、その歴史は日本に含めるべきだが、教科書では「日本軍のアジア進出」として大陸と一緒になっているので、日本軍が朝鮮で戦争したと思っている人も多い。実際には朝鮮半島は平和で、朝鮮人は 内地以上に「皇国」に同化していた。
諸君の犠牲は決して無駄にはならないと、ここに宣言しよう。それは諸君に生を与えた朝鮮半島のための犠牲であり、その犠牲によって朝鮮半島は皇国の一員となる資格が与えられるのだ。まさに朝鮮の未来は諸君の今後の行動にかかっていると言っても過言ではない。
これは1943年に金性洙(のちの韓国副大統領)が、学徒出陣する志願兵に対するはなむけの言葉として朝鮮の新聞に書いたものだ。これは例外ではなく、こういう戦時中の戦争協力者が戦後は韓国の指導者になった。その最たるものが朴正熙大統領である。 彼は高木正雄という日本名で陸軍士官学校を卒業し、満州国軍で中尉となった。

それが戦後、韓国軍の将校になったのは、日本でいえばBC級戦犯が自衛隊の幹部になったようなものだが、彼に親日派としての戦争責任を問う人はいなかった。戦後の韓国政府の首脳は、ほとんどが戦争に協力した親日派だったからだ。朴はその過去を隠すために日本の映画やレコードの輸入を禁じ、安重根記念館をつくり、国定教科書に「韓国史観」を書かせた。

これは日本で、戦犯容疑者だった岸信介が首相になったのと似ている。岸の経歴は誰もが知っていたが、その戦争責任を問う人は少なかった。そんなことをいったら、多くの日本人が(共産党員を除いて)戦争に協力した責任があったからだ。憲法の平和主義は、そういう日本人の罪の意識を隠す戦後の国体だったが、朴のつくった「反日主義」は韓国の戦後の国体だった。
日本人にとって戦前の天皇を中心とする国体は伝統ではなく、敗戦で一夜にして消えるイデオロギーだったが、戦後の憲法も人々の心に根づかない。それは占領軍に与えられたアメリカ的なイデオロギーだからである。

これを儒教の伝統や「恨」の感情にもとづく国民感情だという人もいるが、著者はもっと新しいものだという。それが朝鮮人が日本にいじめられた体験にもとづく感情なら、時とともに薄れるはずだが、反日感情は時とともに強まっている。これは木村幹氏のデータでもわかる。

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『朝鮮日報』に出てくる反日記事の数

「主人」を変えた韓国の事大主義

朝鮮の歴史には国家の独立という概念はなく、華夷秩序の中で、どこの国に服属するかでアイデンティティが決まる事大主義が儒教の伝統だった。その「主人」が19世紀までは中国で、1910年以降は日本になっただけだ。

それが戦後の軍事政権ではアメリカに変わったので、かつての宗主国を批判して自我を確立しようとしたと考えることもできるが、そこには根本的な矛盾があった。軍事政権の中枢だった人々のほとんどは親日派であり、日本を断罪することは、彼らの過去を指弾することにつながりかねなかったからだ。

そこで軍事政権は、国定教科書や検定教科書で、大がかりな歴史の偽造を行った。高校の教科書の近代史の記述120ページに「日本」は311回出現し、「韓国」(朝鮮)の174回より多い。その記述も「日本は海外侵略を企てた」とか「土地を収奪した」などというもので、合法的な支配だったことは書かれていない。日本人の名前はほとんど出てこない。

反日が庶民の素直な感情なら、学歴が高いほどそれを反省して客観的な歴史観をもつだろうが、これも逆である。韓国の教育では、反日主義に合わせないとテストに合格できないので、高学歴の人ほど反日の傾向が強い。これは文在寅政権をみてもわかる。

こういう状況は、日本でいうと55年体制に近い。当時の自民党は、まだ岸のような戦犯容疑者が首脳に残り、その犯罪を指弾する社会党が、絶対平和主義という「表の国体」を掲げていた。日本では幸か不幸か政権交代が実現しなかったが、実現していたら韓国のような「革新政権」が生まれていただろう。

しかし1990年代以降、冷戦が終わって歴史観は多様化し、憲法を絶対化する社会党は消えていった。韓国の現状が30年前の日本と似ているとすると、日韓の対立はそれほど宿命的なものではなく、日本と韓国が和解できる可能性を示唆している。

いま韓国は、戦前の日本や戦後のアメリカに代わる新しい「主人さがし」をしているのかもしれない。それがアメリカに並ぶ経済大国になる中国に回帰することも、ありえないことではない。