河野太郎外相が、ブルームバーグなどに日本語と英語で寄稿し、日韓問題についての日本の立場を説明している。英語圏の人々にとって英語以外の情報は存在しないので、こういう情報発信は重要だが、今まで外務省はほとんどやってこなかった。2015年度予算からは総額約500億円もの「対外広報戦略費」がついたが、使い道がわからないので「ジャパンハウス」などのハコモノに使われている。

その原因は、英語ができないからではない。外務省には語学バカといわれるぐらい語学のできる人は多いが、問題は発信すべき情報がないことだ。「平家・海軍・外務省」といわれるように、日本の官庁も企業も意思決定が内向きで、国際派は華やかだが力がない。外務省は対米追従で独自の外交路線がないので、情報発信しても他国が関心をもたなかった。

ところが慰安婦問題では、韓国が情報戦で日本を逆転した。この時期に国際世論の動向を左右したのは、ネット上の英語情報だったが、外務省は無力だった。たとえば英語版のWikipediaでは、今もComfort womenはこう説明されている。
Comfort women were women and girls forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied territories before and during World War II.
これを訂正すると30分ぐらいで編集合戦が始まり、韓国系と思われるユーザーによってすべて元に戻されてしまう(試しにやってみるとわかる)。

「国際派」が国際関係をこじらせた

1990年代にこういう問題に気づいたのは自民党右派で、「新しい歴史教科書」などの運動も慰安婦問題がきっかけだったが、これは初期には朝日新聞などの攻撃の的になり、自民党左派や外務省などの「国際派」は、戦争を反省する姿勢をみせて韓国と和解しようとした。

自民党きっての国際派で英語も堪能だった宮沢喜一や、外務省出身の加藤紘一が慰安婦問題の処理を誤った原因は、彼らが国際派だったことにある。戦後の日本外交にとって国際関係とは日米関係であり、日韓関係は考えたこともなかった。

ところが1990年代に戦後補償の問題が蒸し返され、宮沢は首相就任後の最初の訪問国に韓国を選んだ。当時バラバラになっていた自民党で求心力を保つために、得意の外交でポイントを稼ごうと思ったのかもしれない。

ところが宮沢訪韓の直前に、朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」の記事をぶつけてきた。戦争中は大蔵官僚で戦争経験のない宮沢は、その処理がわからないまま韓国に行って、盧泰愚大統領に何度も謝り、加藤もその数日後に謝罪した。

当時は自民党右派が岸信介などの「親韓派」で、韓国にもパイプがあったが、自民党左派にはなかったので、韓国の吹っかけてくる無理難題にていねいに対応し、結果的に問題を大きくしてしまった。それを政権交代の直前に無理やり政治決着しようと出したのが河野談話で、あれは「宮沢談話」だった。

今の徴用工問題にも通じる教訓は、外交官がカクテルパーティで取る「表の情報」に大した価値はないということだ。韓国の中枢だった「親日派」は、表で慰安婦問題を糾弾しながら、裏では北朝鮮の工作員の仕切る挺対協を抑えようとしたが、日本の国際派はそれと連携できなかった。

政治を動かすのは、どこの国でも人脈と利害関係である。法律や条約は、最後につける理屈にすぎない。韓国がアメリカの政治家やネットメディアを活用するのに対して、国際協調を重視する日本の外務省は対等に戦えない。茂木外相は、河野氏のような情報発信ができるだろうか。