興亡の世界史 大清帝国と中華の混迷 (講談社学術文庫)
韓国との紛争は単なる外交問題ではなく、日韓が価値観を共有できるのかという問題を提起している。 漢字文化圏とか儒教文化圏という通念で語られる「東アジア」は本当に存在するのだろうか。20世紀前半の歴史は、韓国にとっては空白である。1910年の日韓併合は韓国にとっては存在しない。

こういう違いを乗り超えて「東アジア共同体」を建設しようという鳩山由紀夫氏などの構想もあるが、ほとんどの日本人は相手にしていない。かつて「大アジア主義」を唱えて朝鮮半島や中国大陸に出て行った人々は、近代日本の最大の失敗をもたらした。そしていま韓国は日本に「正しい歴史を学べ」と説教している。

こういう対立は新しいものではない。19世紀末に日本が朝鮮半島に出て行ったとき、それは朝鮮にとっても清にとっても驚くべき事件だった。それまで日本は、ほとんど存在さえ意識されない「夷狄」だった。それが急速な成長を遂げただけでなく、ながく世界の中心だった中国に挑戦して勝ったのだ。

この歴史観の違いは、日本人が意識しているより大きい。それは北方の遊牧民族に対抗するために生まれた内陸部の「アジア的」国家と、それとは異質の「非アジア的」国家である日本の衝突だった。明治維新以降の50年足らずで、日本がアジアの「盟主」になったことは、彼らにとって今も受け入れられない歴史である。

華夷秩序から主権国家へ

19世紀まで朝鮮には独立国という意識はなく、中国を中心とする華夷秩序の中で中国の皇帝に従う国だった。しかし異民族の満州人が中国の皇帝になり、朝鮮が華夷秩序の中心になるという意味で1897年に「大韓帝国」ができた。朝鮮の王朝が「帝国」と名乗ったのは、このときが初めてである。

しかし19世紀にはアジア的な帝国は没落し、西洋的な主権国家が世界のモデルになりつつあった。そこには華夷秩序のような上下関係はなく、すべての国家は対等だというのが原則だった。戦争は合法的で、強い国が弱い国を植民地にするのも当然だった。

当時、中国から日本に留学した知識人は、日本との国力の差に驚き、その原因がこの国家システムの違いにあると考えた。その代表である梁啓超は、母国に王朝を超える国家がないことを嘆き、古代から続く国家を「中国」と名づけた。

しかし中国にナショナリズムは根づかなかった。辛亥革命は失敗に終わり、軍閥が割拠する状態がその後も30年以上続いて、最終的に勝利したのは中国共産党の東洋的専制だった。それは中国の歴史では珍しい現象ではないが、日本には一度も生まれたことのない国家である。

朝鮮半島はその中間にあって、20世紀前半には日本を中心とする秩序に同化したが、戦後は冷戦の中で北朝鮮は中国に同化し、韓国はアメリカに同化しようとした。だが敗戦で東アジアから消えたようにみえた日本が復活し、アメリカに次ぐ大国として東アジアをリードし始めたことが、また秩序を混乱させた。

このような華夷秩序と主権国家の葛藤の犠牲になったのが、朝鮮半島と琉球だった。琉球王国は大韓帝国より非力だったので、日本に抵抗しないで併合されたが、その抱える問題は似ている。沖縄の基地問題が韓国の歴史問題と似ているのは、偶然ではないのだ。