在日の耐えられない軽さ (中公新書)
日本人の韓国に対する後ろめたさの原因に「在日」がある。 日本が植民地支配で朝鮮人を迫害し、戦後も在日韓国人を差別してきたというイメージが、日本人の罪悪感と韓国人の被害者意識の原因になっている。その典型が著者の妹のように「世界中にいいたい。日本には来るな!」と憎悪をあおる在日だが、こういう意識は昔からあったものではない。

本書はその当事者が、戦前に朝鮮半島から渡ってきた父(鄭然圭)と自分の歴史を自伝風に描いたものだ。 父は若いころプロレタリア作家だったが、朝鮮総督府から「国外追放」されて内地にやってきた。その後は朝鮮人として初めて日本語で小説を書き、「アジア主義」の作家として有名になった。

日本に渡ってきた朝鮮人も「二等国民」であり、内地と同等ではなかったが、彼らにとっては日韓併合は別の意味をもっていた。それは両班とそれ以外の国民の身分差別をなくし、朝鮮人を「天皇陛下の赤子」として平等にしたのだ。著者の父はそれを拡大して、全アジアを「皇国」として統合すべきだと主張した。

ところが戦後、朝鮮半島に基盤のなかった李承晩政権が「抗日戦争」というフィクションで韓国を統合しようとして、反日思想を国民に植えつけた。それは初期には反共と一体だったが、日本では朝鮮総連が在日を利用して日韓の対立をあおり、在日の参政権を要求する奇妙な運動が出てきた。

帰化を拒否する運動が「在日差別」を再生産した

著者も学生時代には、韓国の民主化の目標は南北統一だと信じていた。岩波書店の『世界』に連載された「韓国からの通信」は朴正熙政権の独裁をきびしく批判したが、金日成の独裁にはまったくふれなかった(のちにこれは東京で書かれていることがわかった)。

しかし北朝鮮の実態がわかってくると、在日の運動も分裂しはじめる。一方では日本に帰化して在日であることも隠す人が増えたが、他方では在日であることをカミングアウトし、参政権などを要求する運動が出てきた。

1994年に著者の妹が、東京都の管理職試験の受験を拒否されたことを憲法違反として提訴したのは、その運動の代表だった。2004年に最高裁で逆転敗訴したとき、彼女は記者会見でこう述べた。
父は1960年、韓国において学生達を先頭にした民衆蜂起「4月革命」以後、60歳を過ぎて祖国に帰ることを許されました。

私は母の国を恨み、韓国人である父を恨み、なぜ結婚したのかと心の中で両親を絶えず攻撃し、私は混血の子供は作るまいと決意し、自殺することばかりを考えていました。

この発言には事実誤認がある。「祖国に帰ることを許されました」というが、韓国籍を持っていた父親が韓国に帰ることに日本政府の許可は必要ない。在日韓国人は韓国の永住権を持っているので、ビザを取得する必要もない。 そんな常識もなしに、10年裁判闘争をやったわけだ。

彼女が管理職試験を受ける方法は簡単である。著者もいうように「妹よ、日本国籍を取れ」。今は本名で国籍が取れるようになり、普通の日本人と何の違いもない。今では日本にいる朝鮮半島出身者70万人のうち、37万人が帰化した。

帰化を拒否する無意味な運動が「反日運動だ」という反感をまねき、在日差別を再生産してきた。これは植民地支配というより、冷戦と分裂国家の産物である。韓国が日韓基本条約を見直すというなら、特別永住資格も廃止すべきだ。特別永住者には、届け出だけで帰化を認めればいいのだ。