韓国が「約束を守れない国」だとすると、日本は「約束を破れない国」である。これには歴史的な原因がある。日本は江戸時代まで対外的な戦争を経験しなかったので、平和の中で安定した中間集団(社団)ができ、血縁集団を超える約束ができるようになった。これを「封建制」と呼ぶのは正確ではないが、東アジアの他の国とは明らかに違い、ヨーロッパのfeudalismに似ている。

堂島の米市場では米の現物は取引されず、「米切手」の売買で先物取引まで行われた。米商人は互いに血縁も地縁もなかったが、米市場の中で商人の評判を共有する評判メカニズムの完成度が高かったためだ。約束を守るレントが大きく、それを破ったときは商人の仲間から追放される損失が大きいと、約束は自発的に守られる。

このような約束を守るメカニズムができた原因は、長い平和の中で「家」という親族を超える社団が根づいたことだが、もう一つは日本語が全国で通じたことだ。これは自明ではなく、中国で漢字の読める人は歴史的に人口の1割程度で、今でも北京語と広東語の発音はまったく違うので、漢字が読めないと通じない。

日本語の均質性のおかげで、血縁集団を超えて約束を守る社団が機能した。家はもともと武士と農民の地縁集団だったが、そのうち商人にも広がって地縁にも拘束されなくなった。この点で、日本の家はヨーロッパのギルドのような職能集団に近いが、個人と家族を組織に「丸抱え」で拘束するシステムなので息苦しい。

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