毎年この季節になると慰安婦問題が出てくるが、今では誤解している人も多いので、リアルタイムの経験を記録しておくのも私の世代の責任だろう。私が偶然この問題が発生する現場に立ち会うことになったのは、NHK大阪放送局に勤務していた1991年夏のことだった。 毎年8月になると終戦記念番組をやることになっていたが、私は運悪くその担当に当たった。

そのころまで戦争の番組といえば、戦争がいかに悲惨かを当事者に証言させるものだったが、そういうネタは尽きたので、海外取材で目先を変えようということになった。そこで出てきたのが強制連行だった。これは朴慶植という朝鮮大学校の教師の造語で、彼の『朝鮮人強制連行の記録』によると、100万人以上の朝鮮人が官憲に連行されて日本で強制労働させられたという。これはどうみても誇張された数字だが、朝鮮人が徴用されたことは事実なので、その実態を韓国で調べてみようということになった。

このとき偶然、NHKに「慰安婦」を売り込んで来たのが福島瑞穂弁護士だった。これは戦時中に軍の慰安所で働いた娼婦の未払い賃金の問題で、韓国で高木健一氏などの弁護士がそれを請求する訴訟の原告を募集し、そのうち金学順という慰安婦が初めて実名で名乗り出たのだ。その訴訟の広報担当が福島氏で、同時に朝日新聞などにも売り込んだ。これを同僚が取材して、私の取材した強制連行と2日シリーズでNC9の企画ニュースにした。

920111だからもともと男の強制連行と慰安婦は別の話で、別々の担当者が取材していた。それを朝日が混同して、植村隆記者が慰安婦が軍に連行されたかのような記事を書いたが、当時は他社も似たようなものだった。戦争中の古い話で、強制かどうかなんて大した問題ではなかったのだ。それを結びつけて日韓の外交問題に昇格させたのが、1992年1月の朝日の記事「慰安所 軍関与示す資料」だった。

宮沢首相の贖罪意識

ところがこの記事の出た直後に宮沢首相が韓国を訪れ、盧泰愚大統領に謝罪したことから話が大きくなった。慰安婦問題を訪韓にぶつけた東京社会部の鈴木規雄デスクは、大阪で植村に記事を書かせた人物だ。このように社会部が火をつけて政治部が延焼させるのが、リクルート事件から森友・加計に至る朝日新聞の伝統である。

ただ宮沢首相も、何に謝罪したのかはっきりしない。「民間業者が連れ歩いていた」という政府答弁は間違いではなく、慰安所を軍が管理していたことは周知の事実だった。このとき朝日の囲み記事には「慰安婦を挺身隊として強制連行した」という明らかな事実誤認があったが、当初それが問題になったわけでもない。

宮沢首相は大蔵省のエリートで戦争には行っていないので、慰安所の実態を知らなかったものと思われる。彼にとっては軍が売春宿を運営するのはありえないことで、ショックを受けたのではないか。この段階では彼は強制連行に謝罪したのではなく、「関与」に謝罪したのだ。

それを受けて1992年7月に加藤官房長官が「関与」を認める談話を発表し、これでいったん決着した。この時期には、強制連行は問題になっていなかったが、その後、韓国が問題を蒸し返し、1993年8月に河野談話を出した。これも強制連行を認めたわけではなく、金泳三大統領との政治決着だった。

これは解散・総選挙で自民党が敗北した後、細川内閣が生まれる直前に出されたので、私にはリアルタイムの記憶がないが、内容的には河野洋平氏ではなく宮沢首相の談話だった。自分が政権の座にいる間に、戦後処理を片づけたいという贖罪意識があったのではないか。

国際世論を味方につけた韓国

ところがこれが細川内閣に受け継がれず、韓国が問題を蒸し返して村山内閣が「アジア女性基金」に出資したため、日本が慰安婦問題に謝罪していると受け取られた。このときも強制連行は争点ではなく、吉田清治も出ていない。

吉田証言を持ち出したのは朝日新聞である。これによって無関係だった慰安婦と強制連行が結びつけられ、それがクマラスワミ報告など国連に持ち出され、韓国に利用された。しかし1997年に慰安婦問題を検証した特集でも、鈴木規雄(当時の東京社会部長)が「吉田証言の真偽は確認できない」と問題をもみ消した。

その後は慰安婦の存在を問題にする国際世論と、その強制連行はなかったという日本政府の立場が平行線のまま、前者だけが世界に拡散した。慰安婦が「性奴隷」だったというNYタイムズなどの報道が出てきたのは2000年代である。

これに対して「強制連行ではなかった」という日本政府の主張は、英米圏でも認められなかった。それは争点ではないからだ。問題の本質は日本人がこだわる強制連行ではなく、慰安婦の存在そのものなのだ。

これは最近の徴用工問題でもわかる。韓国大法院の判決では、徴用も強制連行も問題になっていない。彼らの立場では日帝の植民地支配がすべて不法な侵略なので、もはや国際法で解決することは不可能だろう。