住友銀行秘史
日本の戦後史は、1990年を境に大きく変わった。それを象徴するのがイトマン事件だった。90年10月に住友銀行の磯田会長が辞任したとき、それは山口組の企業舎弟による単純な詐欺事件と思われたが、そうではなかった。同じような不良債権問題(当時はそんな言葉もなかった)が、全国で発生していたのだ。

1989年の1年間に、尾上縫は延べ1兆2000億円を借り入れ、すでに債務超過になっていた。住友はイトマン事件をきっかけに全国の不動産融資を見直していち早く撤退したが、興銀はその後も融資を増やし、黒沢頭取は1991年8月に尾上と面会した。その直後に尾上は逮捕された。

本書を読み直してみると、住友は早い時期から事態を察知していたことがわかる。1990年3月の段階で磯田は「ヤクザがからんでいる」と認識し、「どのくらいくれてやって別れるかがポイント」と割り切って処理しようとしていた。本書の著者(当時のMOF担)は大蔵省の介入を求めて内部告発の手紙を出すが、大蔵省の動きは鈍かった。

致命的な失敗は、1990年11月に住友がイトマンの会社更生法申請を決め、大阪地裁に書類まで出したのに、大蔵省が直前で止めたことだった。理由は「地方銀行などに取り付けが起こったら、いつシャッターを下ろし、どうやって預金を払い戻すのか、預金保険法の手順が決まっていない」ということだった。あのとき会社更生法でイトマンを整理していたら改革が早まり、「失われた10年」はなかったのではないか、と著者はいう。

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