日本経済の停滞は1990年から始まった。最初は「失われた10年」といわれ、そのうち「失われた20年」といわれたが、最近は「長期停滞」といわれるようになった。先進国でも2008年の世界金融危機から「失われた10年」が始まっているからだ。

しかしサマーズやブランシャールのように、それを標準的なマクロ経済理論で理解することには限界がある。日本の1990年には、欧米の2008年のような決済機能の崩壊は起こらなかった。むしろ大手銀行はかなり早めにバブルの処理を始めていた。イトマンやEIEの処理が始まったのは1990年である。

不動産バブルが起こっていたことは明らかなので、公定歩合を引き上げた日銀の対応は正しかったが、それもすぐきいたわけではない。日銀が公定歩合を上げても、地価も株価も上がり続けた。1990年初めからの下げも、当初は一時的な調整だと思われていた。その流れを変えたのが、1990年3月に大蔵省の出した不動産融資の総量規制だった。

だがこれは結果論である。当時の新聞論調は「地価バブルを完全につぶそう」(朝日)、「居座り許せぬバブル地価」(毎日)、「地価対策の手綱を緩めるな」(読売)、「地価は落ち着いても楽観できない」(日経)という感じだった。NHKもバブルつぶしのキャンペーンを張ったが、誰もバブルがあれほど一挙に崩壊するとは思わなかった。

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