資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界
本書は宇沢弘文の伝記だが、戦後日本の経済学の歴史にもなっている。彼は1950年代にアメリカに渡り、数学的な論文で世界の経済学界のスターになったが、40歳で日本に帰ってきた後の業績には見るべきものがない。この落差の原因は何だったのだろうか。

彼は資本主義と闘ったわけではなく、新古典派経済学と闘ったが、その闘いに敗れた。「新古典派は非現実的だ」とか「人間不在だ」という話は誰でもできる。経済学者の仕事はその理論を変えることだが、彼はその闘いに挫折して環境問題の活動家になった。コメの輸入自由化に反対し、晩年にはTPP反対の先頭に立って支離滅裂な話をするようになった。

本書で宇沢の仮想敵になっているのは、ミルトン・フリードマンである。彼の人格は高潔ではなかったかもしれないが、学問的に勝利したのはフリードマンだった。彼の自然失業率理論はルーカスの「合理的期待」を生み、それは数学的にエレガントだという理由でマクロ経済学の主流になった。宇沢は「合理的期待は水際で止める」と宣言し、複雑怪奇な不均衡理論をつくったが、使い物にならなかった。

宇沢が「市場原理主義」と呼んで闘ったのは、経済学そのものだった。それを否定することは経済学者の自己否定であり、彼のように学界で地位を確立した学者以外にはできない。彼の提唱した「社会的共通資本」はサミュエルソンの定義した公共財の概念を拡張したものだが、地球環境から農業保護まで何でも入る(つまりほとんど意味のない)概念だった。
ただ21世紀の資本主義で価値を生み出すのが「無形資産」だとすれば、彼の闘いは無駄ではなかったかもしれない。社会的共通資本を財産権に帰着させて「市場化」する新古典派の考え方を否定した宇沢の発想も理解できる。

しかし市場化を否定するなら、どういう制度にすればいいのか。それを示さないで「農地は社会的共通資本だからTPP反対」といった短絡的な議論をしても、賛同する人は少なかった。

個人的なつきあいもあった私の印象では、宇沢は学生時代にマルクスの影響を受け、一生その影響から逃れられなかったのだと思う。彼は武装闘争について行けなかったようだが、彼の世代には入党して闘争で人生をパーにした人も多い。

この点で宇沢が共産党の東大細胞で、不破哲三(上田建二郎)の影響を受けたというのはおもしろい。心の中では、共産党シンパだったのかもしれないが、宇沢の学問的業績はそれとは逆の「近代経済学」だった。

思想的には新古典派の深さは、マルクスにはとても及ばない。あと100年ぐらいたつと、マルクスの思想は残っているだろうが新古典派は忘れられるだろう。経済学はしょせんその程度の学問だが、宇沢はそこに思想を見出そうとした。

しかし学生時代に数学の訓練しか受けなかった彼には、社会科学や哲学の素養がなかった。そのギャップに、彼は最後まで悩んでいたような気がする。