バブルは事前にわからないといわれるが、そんなことはない。1980年代後半の地価は収益還元価格(理論地価)の数倍になっていた。不動産業者も賃料で回収できないことはわかっていたが、高値で転売できればいいと割り切っていた。バブルは自己実現的な均衡であり、それが実体経済と一致する必要はないのだ。

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バブル期の地価(日本不動産研究所の推定)

1990年代末のITバブルでも、ドットコム企業の株価が将来の収益で正当化できない水準に上がり、そのほとんどは消滅した。しかしアマゾンもヤフーもグーグルも、ITバブルがなかったら生まれなかった。日本の楽天もソフトバンクも、ITバブルで成長した企業である。アップルもマイクロソフトも、1970年代のPCバブルで生まれた。

アゴラにも書いたようにバブルは悪ではない。借金ができるのは「貸したカネが金利をつけて返ってくる」とみんなが信じるバブルのおかげで、誰もそう信じないと企業は現金だけで経営しなければならない。企業が萎縮して銀行は国債を買う悪いバブルが、この20年の日本経済である。

どんなバブルでもいいわけではない。PCバブルやITバブルで生き残った(ごく少数の)新企業は、急成長してグローバル企業になったが、日本の不動産バブルは銀行の不良債権を残しただけだった。今の国債バブルも、非効率な社会保障や公共投資を残すだけに終わるおそれが強い。

銀行を安楽死させる改革

不動産バブルが、すべて非生産的だというわけではない。日本の1980年代のバブルも、大都市の容積率が低く、再開発の余地が大きいという(それなりに合理的な)期待にもとづいていた。上の図の理論地価をみればわかるように、金利で割り引いた収益還元価格は90年代後半も上がっており、それほど不合理な投資が行われたわけではない。

バブルが崩壊することも、それ自体は大した問題ではない。アメリカでいうとITバブルの規模は大きかったが、2~3年で終わった。ドットコム企業がつぶれて株券が紙切れになっても、あきらめがつくからだ。日本でも80年代の株式バブルは、それほど深刻な問題にはならなかった。株価は元本が保証されていないので「損切り」できるからだ。

それに対してどこの国でも土地は銀行借り入れで買うため、地価の暴落が不良債権として残り、金融危機に発展する。これは短期で借りた預金を企業に長期で貸す銀行の特殊性によるものだ。銀行は信用創造で元本の何倍もの資金を生み出すが、これは取り付けが起こると逆転する。

バブルの本質は、この銀行という制度の非対称性にある。ターナーも指摘するように、これは歴史的な経緯で銀行が決済機能という公共インフラを独占していることが原因だ。本来は決済機能と金融仲介機能(貸し出し)を分離し、前者は中央銀行(政府)が独占的に行うことが望ましい。

しかしそういう改革は銀行の廃止に等しく、政治的には不可能だ。技術的にも暗号通貨などで現金の機能を複製することは容易なので、銀行が存在するかぎりバブルと金融危機は必ず発生する。

日本で国債バブルが起こっていることは間違いないが、それが劇的に崩壊するとは限らない。ターナーがいうように日銀が国債をすべて買い切って日銀券と同じノーリスクの資産にしてしまえば、理論的にはバブルを消すことも可能だ。それが財政インフレを起こすリスクもゼロではないが、むしろ何も起こらないリスクのほうが大きい。

その意味では日銀がもっと大幅なマイナス金利に踏み切れば、銀行貸し出しが減って不況になるだろうが、メガバンクは銀行業務から脱出するかもしれない。銀行が諸悪の根源だとすれば、それを安楽死させる改革で、日本は世界のトップランナーになれる可能性もある。