半導体報復でまた日韓問題がもめているが、1990年までほとんど存在しなかった慰安婦問題を日韓の外交問題にしたのは朝日新聞である。これについては、いまだに第一報を書いた植村隆記者が主役のように取り上げられるが、彼は当時33歳の駆け出しで、デスクに命じられて2本の署名記事を書いたに過ぎない。大部分の記事は無署名で、そのキャンペーンの責任者は大阪社会部デスク(次長)の鈴木規雄(故人)だった。

鈴木は千葉支局デスクだった1988年に初めて日本人慰安婦の「証言」を記事にし、大阪社会部デスクに異動して、1991年8月に慰安婦の記事を書かせた。その翌年1月の宮沢訪韓の直前に「軍関与示す資料」という1面トップの記事が出たときの東京社会部デスクも鈴木だった。これは偶然ではありえない。大阪から東京に拠点を移してキャンペーンを続け、慰安婦問題を日韓の政治問題に仕立てたのは朝日新聞社会部だったのだ。

ところが慰安婦の強制連行についての唯一の情報源だった吉田清治の証言の信憑性があやしくなって批判が強まり、朝日は1997年3月の特集で吉田証言の「真偽は確認できない」と曖昧な総括をした。この記事を書いた「検証取材班」の人選をしたのも、当時名古屋社会部長だった鈴木である。

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