ゼロ金利の世界では、いろいろ直感に反する現象が起こる。Blanchard-Summersの指摘でおもしろいのは、賦課方式の社会保障が積立方式より効率的になることだ。社会保障の常識では、若者の所得を同時代の老人に移転する賦課方式は不公平で、積立方式にしたほういいと思われているが、金利が成長率より低い動学的に非効率な社会ではその逆になるのだ。

これを簡単な例で考えてみよう。これから50年間、人口も年齢構成も同じで成長率は1%、金利はゼロとする。いま20歳の若者Aの年収が500万円で毎年1%増えると、50年後の年収は822万円になる。他方いま70歳の老人Bがいて年収ゼロとすると、積立方式では生活できないが、賦課方式でAが収入の10%を社会保険料として払うと、Bは年収50万円になるので得する。

50年後には、積立方式だとAは社会保険料を年金として払い戻すが、金利ゼロだと元本が増えないので、年収は(年金の算定方式によって違うが)毎年60万円ぐらいだろう。しかし賦課方式だと、Aは50年後の現役世代の年収の10%をもらえるので、年収82万円になる。つまり賦課方式で今の老人は明らかに得するが、今の若者も(次の世代がいる限り)得するのだ。

世代重複モデルのフィクション

これは単純化した話だが、厳密な証明(Acemoglu ch.9)でも一般的に同じことがいえる。資本過剰で動学的に非効率なときは、賦課方式の社会保障は政府債務と同じくパレート改善的(すべての世代の利益)になる。積立方式は貯蓄と同じなので、ゼロ金利の時代には意味がない。それより老人が現役世代の所得をわけてもらって消費したほうが、成長率が上がるのだ。

そんなフリーランチがあるのかと思う人がいるだろうが、これは社会保障が次の世代に負担を先送りするネズミ講になっているからだ。社会保険料を負担してくれる世代がいる限りネズミ講は成り立つが、日本政府が滅亡して借り換えができなくなると、最後に残された世代は年金保険料を負担するだけでもらえないので保険料を払わない。

その前の世代は老後に次の世代の保険料をもらえないので、現役のとき保険料を払わない。それがわかっていると…というように遡及すると、有限の人数ではネズミ講は破綻する。経済学の世代重複モデルでは、この矛盾を「無限の将来世代に債務を先送りできる」と想定してごまかす。

このフィクションは、ゼロ金利(r<g)であるかぎり債務が発散しないので成り立つが、この不等式が逆転すると成り立たない。だから実証研究を積み重ねないと結論は出せないが、今の状況を資本主義の成熟段階の長期停滞と考えるか、債務過剰の解消局面の一時的な落ち込みと考えるかで、社会保障の考え方も変わってくるのだ。社会保障や世代間格差については悲観論が多いが、ゼロ金利はそれを考え直すきっかけになる。