社会はどう進化するのか——進化生物学が拓く新しい世界観
社会ダーウィニズムという言葉は、現代ではタブーに近い。それはダーウィンの進化論を社会に適用し、弱者や障害者は「淘汰」されるべきだという優生学の思想で、それを実行に移したのがヒトラーだった。しかしこれはダーウィン自身の思想ではない。彼は個体だけではなく集団が淘汰の単位になると考えていた。

このような集団淘汰の理論は一時は否定されたが、21世紀によみがえった。本書はその理論を社会に適用する。遺伝子レベルで集団淘汰が起こるかどうかは論争中の問題だが、社会的に起こることは明らかだ。集団で戦う利他的な集団はバラバラに戦う利己的な集団に勝つので、利他的な感情(ミーム)が継承される。

近代社会が機能しているのも、集団を守る法秩序が確立しているからだ。殺人や泥棒を禁止することは個人の自由に優先するので、近代社会は自由放任主義ではない。このシステムは遺伝的な集団淘汰と本質的には同じだ。人体は37兆個の細胞からなる「社会」であり、たとえば癌細胞が利己的に増殖すると人間は死に至る。

しかし人体は、脳や中枢神経だけがコントロールする中央集権システムではない。癌細胞を殺すのは脳とは無関係な免疫機構であり、それもつねに癌細胞との戦いで組み替えられている。人体でも集団淘汰が起こっているのだ。このような多レベルの集団淘汰という考え方が政治や経済にも応用できるのではないか、というのが本書の提案する「ダーウィン革命の完成」である。
集団淘汰の鉄則は、集団が個に優先するトップダウンである。あるレベルの集団には固有の目的があり、そのサブシステムがバラバラに利益を追求すると崩壊する。癌細胞が自由に増殖する生物が生存できないように、個体がバラバラに利益を追求する集団も維持できないのだ。

目的のない進化と目的のある秩序

では集団の利益は、どうやって守られるのだろうか。経済に「見えざる手」があるというアダム・スミスの発想のモデルは、同時代のニュートンの平衡(経済学の均衡)の概念だった。物体が自由に運動した結果が同じ秩序に収斂するニュートン力学は、超越的な目的をもつ神学的な体系である。

だが進化に神は存在しない。それはランダムな突然変異の積み重ねだから、遺伝子レベルで新しい生物が生まれるには長い時間がかかる。それに対して1万年前からの人類の進化は、地球の歴史上かつてない急速なものだった。その原因は文化の進化が方向のない突然変異ではなく、目的をもつ進化だったからだ。文化は集団で共有され、子孫に継承されて特定の方向に急速に進化する。

だから経済的な自由放任主義は間違いで、目的意識的に秩序を守るシステムが必要だ。それが国家とは限らない。地球環境の問題が深刻化したら、地球という単位で人類を最適化するシステムが必要になる――という本書の議論は、社会科学としては幼稚で具体性がない。

社会科学で進化の問題を考えたのは、ハイエクである。彼が初期に市場経済を「自生的秩序」と考えたのは誤りで、それはヨーロッパ的な法秩序の上で初めて成り立つものだ。晩年の彼はそれに気づいて、自由社会を維持する法制度の設計を考えた。

そこではサブシステムとしての企業は目的をもつ有機体だが、市場経済には目的がないので、秩序を自動的に維持することはできない。それをコントロールするには、法の支配が必要だ。それも人々の長い経験の中から進化した英米法のほうが、官僚の計画した大陸法よりすぐれている。

このようなダーウィン的理論は古典力学のように美しくないが、もうニュートンやスミスのような神学的な理論に生産性のなくなった21世紀には、新しい社会科学のモデルになるのではないか。