平成はなぜ失敗したのか (「失われた30年」の分析)
平成の時代は、1990年のバブル崩壊から始まった。野口悠紀雄氏はその前から「これはバブルだ」と警告した数少ない専門家だが、バブル崩壊のような金融の問題は日本経済の失敗の本質ではないという。

1990年代は、世界の産業構造に大きな変化の起こった時期だった。冷戦が終了してグローバル化が起こり、特に中国が世界市場に参入してきた。これに対してアメリカ企業は競争力を失った製造部門を海外移転して水平分業し、グローバル化によって大きな利益を上げた。

しかし日本企業は雇用維持のため国内に工場を持ち続け、水平分業の流れに乗り遅れた。電機産業は中途半端な規模とコモディタイズした製品で中国との競争に敗れ、日本の「輸出立国」モデルは崩壊した。このような構造問題を「デフレ」ととらえて金融政策で打開しようとしたアベノミクスは失敗に終わり、財政危機だけが残った。

こういう著者の見方は経済学者の主流で、私もおおむね同感だが、供給面だけでは2010年代の状況はうまく説明できない。財政危機なら金利が上がるはずだが、日銀が資産買い入れのペースを毎年80兆円から30兆円に落としても、長期金利はマイナスだ。これほど企業の資金需要が衰えたのはなぜかという需要側の問題も考えないと、日本経済の陥っている隘路はわからないのではないか。
その有力な答はバブル崩壊と不良債権処理だが、それがなぜ実体経済に大きな影響をもたらしたのかはよくわからない。それは経済学的にはファンダメンタルズから乖離した資産価格が元に戻っただけだが、経営者にとっては死活問題だった。著者のいう「二日酔い」が2000年代前半まで続いた。

実体経済ではわからない「長期停滞」

2005年ごろ不良債権処理に区切りがついたことで経済が活性化したが、2008年のリーマンショックで、また企業のリスク態度が保守的になってしまった。その後も安倍政権で雇用は回復したが、潜在成長率は低いままだ。

この最大の原因は人口減少と高齢化だが、それだけでは今の異常な低金利は説明できない。労働生産性が低いのは、今に始まったことではない。その背景には、バブル崩壊と不良債権処理で起こった金融仲介機能の劣化があるのではないか。

企業がカネを借りるのは、資金需要があるときとは限らない。高度成長期には資金不足だったので銀行が「貸してやる」という状況だったが、1990年代以降は金余りで状況が逆転した。企業は銀行から余計な融資を受けて「貸しはがし」でひどい目にあうより、現金を保有しようと考える。

ITの技術進歩で、設備投資のコストも大幅に下がった。1990年から2010年までに資本コストは3割以上も下がったので、需要が3割増えたとしても、名目需要は変わらない。こういう問題が自然利子率の低下の背景にある。

これは供給面からみると潜在成長率だが、2000年代以降リスク態度が大きく変化して、トレンドが下方にシフトした。図のようにEUの潜在GDPは2007年のトレンドから大きく乖離したままだ、というのがサマーズのいう長期停滞である。

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このように金融危機の後遺症(ヒステリシス)は大きく、この状況では金融政策はきかない。同じような議論は日本にも当てはまり、一人当たり実質成長率は先進国では高いほうだが、昔の水準には戻らない。これを本来のポテンシャルな水準まで戻すには、財政支出も一つの選択肢だろう。