Does Altruism Exist?: Culture, Genes, and the Welfare of Others (Foundational Questions in Science)
経済学で「合理的」というのは「利己的」と同義である。人間は利己的に行動するので、それとは別の利他主義(altruism)は存在しないというのが常識だ。これを進化に拡張したのがドーキンスの「利己的な遺伝子」で、ここでは淘汰は個体レベルだけで起こると考える。

それに対して著者は「集団レベルでも淘汰が起こる」と考える多レベル淘汰の理論の提唱者である。それによれば淘汰は個体だけではなく集団の競争でも起こり、各レベルの淘汰に適応した遺伝子があるという。

個体も多くの細胞からなる集団であり、それを一つのまとまりと感じるのは、神経系で統合されているからだ。個体間の競争も細胞集団の競争と考えれば、すべての進化は集団淘汰の結果ともいえる。これはこれは生物学だけではなく、社会科学にも「ダーウィン革命」を起こす可能性があるという。

人間には文化的レベルでも、集団を維持する感情が(おそらく遺伝的に)そなわっている。それが信仰である。宗教は今では生存上の意味をもたないが、かつては人々を利他的に行動させて集団が生き残る重要な武器だった。1851年にaltruismという言葉をつくったオーギュスト・コントは無神論者だった。彼は神なしで人々が利他的に行動する社会をつくろうとしたのだ。

大きな集団は多レベルで進化する

コントの科学主義は失敗したが、これは宗教の本質をよく示している。宗教は人々を利他的に行動させるしくみなのだ。同じものを信じる感情は類人猿にはなく、人間でも4歳児にならないとみられない。それは自閉症の患者には欠けているので、人間関係を調整する遺伝的メカニズムだろう。

何を信じるかは遺伝的に決まっていなので集団ごとにバラバラだが、共通性がある。たとえば「他人の物を盗むな」という規範は多くの社会にみられ、「罰が当たる」というペナルティも似ている。これはフリーライダーを防ぐしくみだと思われる。

宗教の異なる集団では戦争が起こる。それを解決するためには、ローカルな土着信仰を超える普遍的な教義が必要だ。ローマ帝国は広大な版図を支配するために、キリスト教を利用して各国を分割統治し、カトリック教会は各国の土着信仰を取り込んだ。

カルヴィニズムはこれを「純化」しようとしたので、果てしない内戦をまねいた。その妥協の結果として、政教分離で宗教と国家権力が分離された。

このように大きな集団が階層に分解され、多レベルで進化する現象は普遍的なものだ。たとえば市場経済は集団の意思決定を所有権で個人レベルに分解するものだが、完全には分解できない。それを統合するのが政治であり、これを「市場の失敗」と考えるのは一面的だ。

進化論はここ20年ぐらいで大きく変わり、多レベル淘汰は大論争になったが、著者によれば論争には決着がついたという。本書はその勝利宣言だが、すべての進化を多レベルの集団淘汰と考える思想は、社会科学にも影響を与えるだろう。