トランプ大統領の大減税で「アメリカの政府債務はGDPの100%を超えて危険だ」といわれたが、超低金利が続いている。政府債務がその2倍以上ある日本の長期金利は、ゼロに近づいている。こういう状況で「これ以上国債を増やしたら財政が破綻する」という財政タカ派の主張には、疑問が強まっている。

その一つのきっかけがMMTだったが、これは学問的には相手にされていない。しかし今年1月のアメリカ経済学会の会長講演で、ブランシャールが「超低金利では政府債務のコストは小さい」と論じたことは、専門家にも波紋を呼んでいる。講演の内容は論文にまとめられているが、そのポイントは今のように国債金利<成長率という状況が長期的に続くなら、次の二つの結果が成り立つというものだ。
  1. 政府債務は発散しない
  2. 将来世代の損失は大きくない
1は直感的にわかりやすい。名目成長率が名目金利より高ければ、政府債務のGDP比は下がる。1990年代以降、アメリカの国債金利は名目成長率よりつねに低い。70年代のスタグフレーションは例外だったのだ。

新しい論点は2である。政府支出が増えると金利が上がって民間投資がクラウディングアウトされるが、国債金利(safe rate)はリスクを除いた資本収益率なので、それが成長率より低いときは資本収益率が労働所得の収益率より低い。したがって超低金利の「長期停滞」の状況では、政府支出で民間投資の不足を補うことには意味がある。

政府支出で効用を最大化する

これをブランシャールの世代重複モデルを単純化して考えてみよう。成長率ゼロの定常状態で、現役世代から年金受給者に所得が移転されるとすると、その利益の合計Uは

 U=(1-β)U(C1)+βU(C2)

とあらわすことができる(βは定数)。Cは各世代の消費、サブスクリプトは第1期(現役世代)と2期(年金受給者)を示す。彼らの予算制約はそれぞれ

 C1=W-K-D
 C2=RK+D

ここでWは労働所得、Kは貯蓄(第2期の資本)、Dは国債(第2期の年金)、Rは金利(資本収益率)とする。労働の収益率を1に基準化すると、R<1のときは金利が成長率より低い。ここでUを最大化する1階の条件は、

 (1-β)U'(C1)=βU'(C2)

なので、Dが増えた場合の利益の増加dUは

 dU=β(1-R)U'(C2)dD

となる(計算は原論文を参照)。つまりR<1の場合には、国債を増発すると(両世代を合計した)利益は増える。国債の機会費用は民間投資が金利上昇でクラウディングアウトされて資本蓄積が減ることだが、資本収益率が低いときは機会費用が小さい。

直感的にいうと、金利(資本収益率)が成長率より低いときは動的に非効率で民間投資が足りないので、その需要不足を政府が補うことによって時間を通じた消費が最大化される。これがダイヤモンドの理論で、ブランシャールの理論はそれを(リスクのある資本を含めて)拡張したものだ。

日本も企業が400兆円以上も貯蓄する動的に非効率な状態になっている。政府が節約するとさらに需要不足になるので、企業に代わって政府が消費したほうがいい。それによって成長率が上がると、税収も増える。

政府債務に「最適水準」はない

このモデルは「将来までの消費を最大化する」という問題なので、所得分配は考えていない。国債を買うのは自由な資産選択で、その償還は強制的な課税なので、将来の納税者から現在の国債保有者への所得移転が発生する。この意味では国債は賦課方式の年金と同じで、これが将来世代の負担である。

しかし国債をすべて償還する必要はない。政府が国債を借り換え、次の世代に先送りすることも可能だ。この場合の将来世代の負担は金利だけなので、ゼロ金利ではまったく増えない。金利がゼロ以上の場合は、成長率によって機会費用が変わる。「金利<成長率」だと将来世代の負担はそれほど重くないが、「金利>成長率」になると重くなる。

つまり政府債務を増やすことは、超低金利が今後もずっと続くことに賭けるギャンブルだが、今のような超低金利が永遠に続くことは考えられない。この場合の問題は、金利が上がったときどう対応するかである。

これは財政支出の問題なので、日銀がコントロールできない。金利上昇が連続的に起こるなら政府が国債の発行を減らして増税すればいいが、今の価格が「国債バブル」になっているとすると、その暴落が財政インフレをもたらし、それが円安を呼んでさらなる暴落をまねく「悪い均衡」が発生する可能性もある。

そういう複数均衡のリスクはブランシャールも認めているが、ここで大事なのは債務残高ではなく、投資家の予想である。日本の政府債務はGDP比ではイタリアやギリシャやスペインより多いが、金利は南欧のほうがはるかに高い。

これは日本政府(特に財務省)が信頼されていることを示している。だから国債残高と金利に一定の関係はなく、政府債務の「最適水準」はない。日本政府がよほど極端な政策をとらない限り、よくも悪くも金利が急上昇することは考えられない。

安倍政権は日本政府の取りうる最大限の極端な政策をとったが、純債務ベースでGDPの155%まで政府債務が拡大しても、金利は上がらなかった。これは史上最大の経済政策の社会実験であり、歴史に残るだろう。この実験に学ぶべきことは多い。