ユダヤ人とユダヤ教 (岩波新書)
普通の日本人がユダヤ教について知っているのは、ユダヤ人の選民思想にもとづくローカルな宗教で、イエス・キリストがそれを否定して人類の普遍的な救済の思想を生んだという程度だろうが、これは間違いである。ユダヤ教は、キリスト教のような意味での宗教ではない。古代ヘブライ語には「宗教」という言葉もなかった。

というより宗教という概念は、ほとんどキリスト教にしか当てはまらない。それはヨーロッパの雑多な社会を包含する信仰としてつくられたので、世俗的な生活と切り離された教義体系になったが、ヨーロッパ以外のほとんどの社会では、信仰とは「何をすべきか」を決める規範であり、それとは別の法体系はなかった。

ユダヤ教もそういう規範だったが、歴史上ほとんどの時代を流浪の民(ディアスポラ)として過ごしてきたユダヤ人には、法の基盤となる国家がなかったので、規範は「律法」として明文化され、それが「持ち運びのできる国家」になった。世界のどこに住んでいても、律法を守る限りユダヤ人というアイデンティティを守ることができた。

こうしたユダヤ人の特性を受け継いだ国が、アメリカ合衆国である。そこには先祖も伝統もなく、アメリカで生まれた者は自動的にアメリカ国民になる。すべての国民がディアスポラだから、そのアイデンティティは合衆国憲法を守ることにしかない。そういう状況は人々が国境を超えて行き交う現代には、普遍的になりつつある。人類が「ユダヤ人化」しているのだ。

続きは2月18日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。