自殺について (角川ソフィア文庫)
死の恐怖は人間のもっとも強い感情だが、すべて「本能」だとは限らない。それが文献に出てくるのは意外に新しく、16世紀にモンテーニュが死について考え続けたのが最初だ。多くの社会では人は死を自然に受け入れ、キリスト教では死後に永遠の生命が得られることになっているので、死の恐怖はありえない。

死が恐怖の対象になったのは、近代ヨーロッパで人々が神を失ってからだ。ヘーゲルは神の代わりに「絶対精神」にもとづく壮大な観念論を構築したが、ショーペンハウエルはそれを否定する「反ヘーゲル主義」の元祖であり、ニーチェから20世紀のポストモダンに至るニヒリズムの元祖でもある。

本書はショーペンハウエルの主著『意志と表象としての世界』の付録のようなもので、根本的実在は意志だとする。これはプラトンのイデアやカントの物自体と同じ普遍的な概念だが、それ自体は認識の対象ではなく、世界を動かすエネルギーである。意志のみが本質で表象はすべて幻想であり、生は意志の長い歴史の中で、ほんの一瞬この世に現われる閃光のようなものだから、個人は死ぬことによって本質的な意志の世界に帰る。

個体を超えて増殖を続ける意志というイメージは、生物学の「利己的な遺伝子」に似ている。個体は遺伝子のコピーを最大化するための乗り物であり、個体が死んでも遺伝子は子供に受け継がれて増殖を続ける。人間が死を恐れるのは子供をつくって遺伝子を残すためだから、子供が生まれたら死んでもかまわない。死の恐怖は、個体を保存するための錯覚なのだ。

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