The Enigma of Reason: A New Theory of Human Understanding (English Edition)
人間の知的活動の中で、理性の存在理由は自明にみえる。われわれは子供のころから学校で算数を教わって合理的に考える訓練をし、そういうテストに勝ち残った者がエリートになる。それに対して、感情の存在理由はよくわからない。学校でも「感情的に行動してはいけない」と教える。

しかし進化論的に考えると、これは逆である。狩猟採集社会で敵に襲われたときは、恐怖を感じて反射的に逃げる必要がある。ゆっくり情報を収集して合理的に考えていたら、敵に捕食されてしまうので、感情的な「速い思考」は生存の条件であり、哺乳類に広くそなわっている。

それに対して学校で教えるような論理的推論が、石器時代に生存に有利になることは考えられない。1万年前のホモ・サピエンスは遺伝的には今とほぼ同じなので、現代の教育を受けたらコンピュータのコーディングもできるはずだが、そういう能力は石器時代には何の役にも立たないので、遺伝的には説明できない。

つまり常識とは逆に、なぜ人間は合理的に考えるのかが謎なのだ。たとえばコウモリが超音波で通信する特殊な能力をもっているのは、暗い洞窟で生活するためだが、人間の理性にはそういう明らかな合目的性がない。この問題については1990年代から人類学界でも論争があるらしいが、決着はついていない。
本書はその原因を、理性を個人の能力と考える「主知主義アプローチ」の錯覚に求める。人類がここまで繁殖した最大の原因は、個体の能力が高いからではない。その肉体は貧弱なので、集団で移動して身を守らなければならない。集団には規模の経済があるので、大きければ大きいほど有利になる。

つまりコウモリが洞窟というニッチで生き残ったように、人類は「弱い個体が大きな集団で移動する」というニッチで生き残ったのだ。そのコアは血縁を超えた協力で集団を維持する能力だが、集団が大きくなると、裏切り者が出てきて紛争が起こる。大きな集団を維持するためには、つねに他人とコミュニケーションをとり、敵を排除して仲間と協力する行動が必要だ。

そういう行動は、類人猿でもみられる。チンパンジーは、1日の20%を「毛づくろい」に費やす。これは仲間を確認する行動だが、毛づくろいで維持できる集団の規模は限られている。それに対して人類は、物理的な接触に依存しない言語で類人猿よりはるかに大きな集団を維持できるようになったが、それは質的に違うメカニズムではない。猿が毛づくろいする理由が感情であるように、おしゃべりする理由も感情である。

理性も言語も感情から派生した

文法的な言語を組み立てるには理性が必要だが、最近の研究では、これは進化のかなり遅い時期に発達した能力と考えられている(クロマニョン人のコミュニケーションは類人猿に近かったようだ)。言語は互いに協力しないと通じないので、これは理性による協力から派生したものと考えられる。

つまり理性の本質は仲間を選別して協力するメカニズムであり、それによって文法的な言語が使えるようになったことが、人類の適応能力を飛躍的に高めたのだ。しかし集団が大きくなると人間関係の複雑なコーディネーションが必要になり、集団を維持するコストが大きくなる。人類の大脳皮質が発達したのは、こういうコーディネーションのためと考えられている。

論理は言語から派生したもので、人類の生存にとって本質的ではない。人々が合意するのは同じ前提を共有する場合であり、論理はその前提となっている「物語」を正当化するレトリックである。天地創造の神話からでも、世界は論理的に説明できる。「インテリジェント・デザイン」を主張する人々を、論理で反証することはできないのだ。

言語や記号を使って論理的に考える理性が重視されるようになったのは、たかだか最近300年のヨーロッパ的世界の特殊な現象である。コーディング能力も方程式を解く能力も、人類の歴史のほとんどでは無意味だったが、現在では産業の役に立ち、高い所得を得る条件になる。そこから理性が人間の本質だという錯覚が生まれたのだ。

このように集団を維持する感情の役割を重視する本書の「相互作用アプローチ」は、ダンバーなどの脳科学の成果とも共通だが、正当化や説得を重視する点では個人主義的だ。狩猟採集社会で他人を論理的に説得したとは思えないので、この点では「意図の共有」を重視するトマセロの説明のほうが説得的である。

著者のひとりスペルベルは、かつて人類学で記号や象徴を強調する「構造主義」の急先鋒だったが、本書では記号は理性から派生し、理性は感情から派生したものだという。これは「ロゴス中心主義」の批判ともいえようが、ポストモダン的なおしゃべりより実証的だ。アゴラ読書塾「感情の科学」では、こういう哲学的な問題も受講生のみなさんと考えたい。