人間とはなにか 上 (ちくま学芸文庫)
人間は合理的動物であり、その本質は理性にあるというのが、デカルト以来の近代的な人間像である。合理的な行動が正しい行動であり、感情的に行動するのは愚か者である。人工知能はそういう合理的な決定だけをソフトウェアとして抽出し、感情を切り捨てることによって効率を上げようとするものだ。

しかしこの人間像には、進化論的に疑問がある。感情がそれほど無駄なものなら、なぜ人間は感情的に行動するのだろうか。霊長類の中で群を抜いて大きいホモ・サピエンスの脳のエネルギーの8割は、感情に使われている。人類は「感情的動物」なのだ。数十万年のきびしい生存競争の中で、無駄に大きな脳をもつ人類が生き残ったとは考えられない。

最近の脳科学の答は逆である。人類が生き残る上で重要なのは感情だった、と本書は指摘する。前頭葉に損傷を受けた人は、言語や計算の能力には問題がなかったが、他人の感情を無視していつもケンカするようになり、社会生活ができなくなった。感情は人間関係を調整して集団行動を維持する役割を果たしているので、それなしで理性は役に立たないのだ。

人間の行動を決定する恐怖

人間が感情で動くのは不合理な行動ではなく、進化論的には根拠がある。たとえば行動経済学の実験でよく知られているように、人間は外界の刺激を受けたとき、その絶対値をみて「効用最大化」するのではなく、初期の基準点からプラス(利益)かマイナス(損害)かという変化に反応し、プラスよりもマイナスに強く反応する。

これは当然である。つねに周囲からの攻撃や捕食の危険にさらされていた人類にとって、いい獲物に喜ぶことよりケガや死の危険に反応するほうがはるかに大事だった。獲物はまた捕れるが、死んだら二度と獲物は食えない。中でも最も反応が速いのが恐怖である。獲物はゆっくり分け合えばいいが、攻撃は反射的に避けなければならないからだ。

著者が指摘する感情のもう一つの特徴は、バラバラの感覚を物語として編集することだ。脳は多くのモジュールの集合体だから、身体の各部分がバラバラに動いたのでは、人間は生存できない。全体を一つの人格として統合し、バラバラの刺激を一つの出来事と解釈して、それに対する反応を決める必要がある。

だからマスコミがネガティブな物語で「放射能の恐怖」を売り込むことは、彼らのビジネスとしては当然だ。それを「バイアス」と呼んで否定しても、問題は解決しない。死の恐怖は遺伝的なのでなくすことはできないが、それを編集した物語は変えることができる。それも論理的に反論するより、敵をつくって感情に訴えることが効果的だ。

これは政治やマーケティングの手法だが、世の中を動かすのは科学ではなくマーケティングである。脳科学などの感情の科学にもとづくシステマティックな「感情工学」は、行動経済学の応用分野として有望だと思う。