ゴーン事件はまだ肝心の容疑事実がはっきりしないが、マスコミは「強欲な資本主義」や「新自由主義」の批判で埋め尽くされている。古代からどこの文化圏でもカネは「不浄」なものとされ、カトリックでもイスラムでも金利は禁じられた。その根底には独占や所有への嫌悪感がある。

なぜこのように強欲がきらわれるのかは、自明の問題ではない。新古典派経済学では効用は個人の消費のみに依存するので、他人の所得が増えて格差が拡大しても、自分の所得に影響しなければ怒る理由はない。だがチンパンジーでさえ、隣の猿の餌と自分の餌が違っていると怒る。これは不公平をきらう感情が、少なくとも霊長類には共通しているためと思われる。

こういう感情は、集団淘汰を考えると合理的だ。利己的な個体は利他的な個体に勝つが、利己的な集団は利他的な集団に負けるので、集団で行動する動物の脳には、利己的な行動を抑制する感情がそなわっているのだ。人間の場合には、その遺伝的な感情にもとづいて宗教ができ、それを信じる結束力の強い集団が戦争で勝ち残る共進化が起こった、というのが最近の進化心理学の理論である。

ところが利己的な行動を肯定する資本主義は、この遺伝的な感情と対立するので、つねに人々にきらわれるという脆弱性を抱えている。アダム・スミスはこの欠陥を「共感」で補完しようと考え、マックス・ウェーバーは金利を否定するカトリック教会が資本主義を抑圧したと指摘し、マルクスは所有権そのものを否定した。

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