退屈の小さな哲学 (集英社新書)
人生は意味のない長い暇つぶしである。そういう認識は古代ギリシャからあったが、退屈は近代ヨーロッパの現象だと本書はいう。それを最初に明晰に書いたのはパスカルである。彼は『パンセ』の有名な断章で、人生を「気晴らし」と定義する。
私たちのみじめさを慰めてくれる唯一のものは、気晴らしである。しかしこれこそみじめさの最たるものだ。なぜなら、それは自分について考えるのを妨げ、知らず知らずのうちに滅びに至らせるからだ。それがなかったら私たちは退屈に陥り、この退屈から脱出するためにもっと確実な方法を求めるように促されたことだろう。ところが気晴らしは時間をつぶし、知らず知らずのうちに私たちを死に至らせるのだ。
近代人が退屈するようになった原因は、神を失ったからだとパスカルはいう。生活に追われていた民衆には、退屈する暇がなかった。貴族や聖職者は暇だったが、退屈しなかった。人生は神の国に至る過程であり、いつも神に救われるように努力する必要があったからだ。人々にそういう目的を与えるのが教会の仕事だった。

しかし民衆も豊かになると暇を持て余し、彼らが信仰を失うと人生は退屈になる。キルケゴールは「退屈はいっさいのわざわいの根源だ」と強調した。人々は退屈をまぎらわすためにユダヤ人を迫害し、長い平和に飽きると戦争を求める。つねに外部に敵をつくらないと、自分が死に至るみじめな存在だという現実に直面するからだ。

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