昭和史と私 (文春学藝ライブラリー)
「若いとき左翼にならない人は心がないが、年をとっても左翼を信じる人は頭がない」というのはチャーチルの言葉だとされる(出典は不明)が、私のちょっと上までの世代には当てはまった。知識人にとってはマルクス主義という万能の理論を基準にして資本主義を批判することが常識だった。

林健太郎も旧制高校でマルクス主義に心酔し、戦後しばらくまで共産党に共感していたという。終戦直後は「二十世紀研究所」で清水幾太郎や丸山眞男などと一緒に活動したこともあるが、そのうちソ連に不信感をもつようになった。それが決定的になったのはソ連の東欧支配、特に1948年のベルリン封鎖だった。

終戦直後はヨーロッパの知識人にもマルクス主義の影響が強かったが、1950年代には冷戦の激化で親ソ派は少なくなり、西ドイツ以外にはNATOに反対する運動はほとんどなくなった。ところが日本では50年代にも進歩的知識人はソ連との「平和共存」を信じ、全面講和や安保反対の論陣を張った。なぜ日本の知識人は、年をとっても左翼を卒業できなかったのだろうか。

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