盲目の時計職人
進化のメカニズムは自然淘汰と突然変異しかないが、人間のように複雑な生物がそういう偶然だけで説明できるのか、というのは昔から疑問とされてきた。18世紀の神学者ペイリーは「時計が時計職人なしで偶然にできることはありえない」とし、それが自然の設計者たる神の存在証明だと考えた。

これは表現を変えると「猿がランダムにタイプライターをたたいて、シェイクスピアの作品ができるのか」という問題だが、ドーキンスは「できる」という。彼があげる例は『ハムレット』の

 METHINKS IT IS LIKE A WEASEL

という28字の文だが、アルファベットと空白の27字をランダムにタイプしてこの目的の文が偶然できるには、2728=1040回の試行錯誤が必要だ。これは1秒に1回タイプしても、宇宙の寿命より長い時間がかかるので、猿にはシェイクスピアの作品は書けない。これに対して、たとえば任意に選んだ
 WDLTMNLT DTJBKWIRZREZLMQCO P

という文字列のコピーをコンピュータにたくさん作って一定の確率で突然変異を起こし、その変異体の中から目的に近い文字列を選んでまた突然変異を起こす…という累積淘汰のシミュレーションをすると、

 MDLDMNLS ITJISWHRZREZ MECS P
 MELDINLS IT ISWPRKE Z WECSEL…

というように目的の文に近づき、43世代で目的にたどりついたという。これは淘汰がランダムに起こるのではなく、多くの変異体の中から環境に適応した個体が選択される過程を示しているが、この例は(ドーキンスも認めるように)進化の証明になっていない。最初から目的がわかっていて、それに近いものをコンピュータが選んでいるからだ。

複雑性の謎

では偶然の累積だけで、進化は説明できるのだろうか。そういうシミュレーションは本書にはない。それは不可能だからだ。偶然だけで高等動物のような複雑な生物が出てくるまでには、はるかに多くの試行錯誤が必要で、数億年では不可能だ。しかも1回かぎりではなく、これほど多様な生物が生まれたメカニズムは、単なる偶然とは考えにくい。

そこでドーキンスは生物の細胞の形態形成のプログラムを書き、次のような形が数十回の試行で生まれたというのだが、これも何の証拠にもならない。実際の細胞は、こんな図形よりはるかに複雑だから、この方法でつくるのは40億年以内では不可能だ。

dawkins


進化が起こったことは、あなた自身の存在が証明しているが、それが具体的にどう起こったかというメカニズムはいまだにわからない。神で説明することは意味がないが、奇蹟的な飛躍が起こったとか、地球以外の星から生命が飛来したとかいう説も証明できない。これは本書でドーキンスが批判している通りだが、彼の累積淘汰説も比喩でしかないのだ。進化には、まだ多くの謎が残されている。