柴山昌彦文科相が就任会見で、教育勅語を「現代風にアレンジした形で道徳に使うことができる」と述べたことが問題になっている。彼は日本人の精神が荒廃した原因は個人主義的な日本国憲法と教育基本法にあるので、教育勅語のような「無私の心」が必要だという。これは伝統的な自民党の考え方だが、彼の世代にしてはかなり古めかしい。

野党は「教育勅語は国民を戦争に動員した危険思想だ」と騒いでいるが、これは「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分のことだろう。これは「戦争になったら天皇のために戦え」という意味だが、兵士が君主国家で主権者たる君主のために戦うのは当然だ。それは民主国家で主権者たる国民のために戦うのと同じである。

むしろ疑問なのは、こんな難解なわずか315字の文句で、国民を戦争に動員できたのかということだ。教育勅語は明治憲法と一対で1890年に発布されたが、明治憲法を起草した指導者も、憲法だけでは国民を統合できないことを心配した。実際には、明治国家は天皇の国ではなかったからだ。その実態は長州閥の支配であり、天皇は彼らの私物化した国家を飾る「みこし」にすぎなかったので、それを美化する道徳が必要だった。

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