江戸の教育力 近代日本の知的基盤
今年は明治150年なので、明治維新の画期的な意義を強調する行事が多いが、最近の歴史学では江戸時代との連続性を重視する見方が多い。これは西洋史で初期近代(early modern)と呼ばれる時代と重なっているが、ヨーロッパのこの時期が戦争の連続だったのに対して、日本の初期近代を特徴づけるのは、その長い平和である。

その政治的な原因は徳川幕府が徹底的に戦争を抑止するシステムをつくったことだが、文化的には高い教育水準だろう。本書は特に文字の習得がその鍵だったという。江戸時代末の識字率は成年男子で70~90%だったと推定されているが、これは同時代の世界でも驚異的に高い。

その原因は教育が普及したことだ。中世の武士は在地領主で、農民は隣合わせに住んでいたが、江戸時代に兵農分離で武士が城下町に住むようになると、公的な告知は文書でするようになった。それを読むために庶民が文字を習得したので、証文や手形などの文書による契約が近代日本の知的インフラになった、というのが本書の見立てだ。

「文字」による同質性

江戸時代には年貢は「割付状」という文書で取り立てられた。その様式は「御家流」という徳川家の漢字で統一され、蝦夷地から沖縄まで通用したという。この御家流の様式は民間にも使われ、田畑の売買や金銭の貸借などもすべて御家流で書かれた。少なくとも戸主は、漢字が読み書きできないと生活できなかったのだ。

これは逆も成り立ち、武士から農民まで同じ文書でコミュニケーションできると、直接支配は必要なく、兵農分離は定着して平和が続いた。こういう「徳川の平和」は、鎖国(とのちに呼ばれる貿易管理)で世界から隔離されていたから成り立ったものだ。それは19世紀後半に海外からの脅威が顕在化すると、あっけなく崩れたが、その基礎になった文字文化は明治時代にも受け継がれ、日本が急速に近代化する基盤になった。

日本人の「同質性」といわれるものも、文字によって形成された面が強い。漢字かなまじりの表記は世界一むずかしいといわれるが、日本全国で同じだ。日本人なら子供でも読み書きできるが、移民にはきわめて困難で、これが参入障壁になっている。日本語が「初期近代」のインフラになるとともに「後期近代」のグローバル化の障害になっている。