原発とメディア 新聞ジャーナリズム2度目の敗北
かつて朝日新聞は原発推進のリーダーだった。本書は震災後の連載を2012年に書籍化したもので、朝日の「黒歴史」の記録としては貴重だが、問題を取り違えている。著者は朝日の原発推進キャンペーンを満州事変と比べて「2度目の敗北」と書いているが、これは逆である。満州事変に相当するのは3・11なのだ。

1931年9月まで朝日は軍縮論だったが、一夜にして主戦論に変わった。福島第一原発事故の前は、朝日の社内でも賛否両論だったようだが、事故後は反原発一色になり、「プロメテウスの罠」を初めとする放射能デマを大量に流した。放射能による人的被害はなく、ほとんどの被害は朝日を中心とするマスコミが作り出した風評被害である。そういう報道の原因も満州事変と同じで、反原発でないと売れないからだ。

ところが当の記者は、著者のように自分が正義だと思い込んでいる。結果論で放射能デマを正当化するうちに、嘘が正義にすり替わったのだ。かつての戦争のときも、慰安婦問題のときも、こうだったのだろう。それをリアルタイムで検証することは大事である。

朝日の振り回す「結果論の正義」

朝日が原発推進キャンペーンを張ったのは、当時、NHKで同業者だった私もよく覚えている。正力松太郎の読売が推進派でも驚かないが、朝日が推進に回ったことは影響が大きかった。これは社会部記者の「本能」には反するキャンペーンだった。彼らは他人の不幸で飯を食うので、「原発は危険だ」という話は記事になっても「安全だ」という話は記事にならない。

朝日は社員研修で原発の安全性を教育し、分厚い「報道手引書」をつくった。これは科学部の記者が書いたもので、NHK社会部もコピーして使った。NHKには社論がなかったので、「ちゃんと社論をもっている朝日は立派だ」と記者も感心していた。

特に原発安全キャンペーンを張った大熊由紀子記者の連載「核燃料」は大きな反響を呼んだ。著者は大熊記者にインタビューし、当時の報道を批判している。彼女は「津波の危険は見逃していた」と認めるが、それ以外の安全性についての記事に問題はなかったと答えている。著者も、それ以上は追及できない。

おもしろいのは、原発推進キャンペーンの先頭に立った木村繁科学部長が「自動車事故で毎年6000人が死んでいるのに自動車をゼロにしろという話はない」と反論したのに対して、著者が「原発と自動車は同次元では語れない」とか「事故を起こさなくても非人道的だ」などと非論理的な話に逃げることだ。

著者が当時の記者を批判するのは、もっぱら「原発事故は現に起こったじゃないか」という結果論である。そんなことは誰でもいえる。1945年9月になってから「戦争に負けたじゃないか」というのと同じだ。いま追及すべきなのは、なぜ朝日は1945年8月までそれをいえなかったのかということだ。それは単なる営業上の問題ともいえない。本書のように「結果論の正義」を振り回すのが、マスコミの悲しい習性である。