知識経済の形成――産業革命から情報化社会まで
人類の歴史の大部分で世界最高の文明国だった中国で「産業革命」が起こらず、なぜヨーロッパの小国イギリスで起こったのか、というのは歴史の謎である。その一つの要因が近代科学だが、中国の技術的知識はヨーロッパよりはるかに進んでいたのに「科学革命」が生まれなかったのはなぜだろうか。

それは中国が文明として完成していたからだ、というのが本書の答である。中国の学問は四書五経を解釈することであり、エリートの条件は古典を暗記することだった。論理は重視されたが、その論証の根拠は古典の記述であり、事実で古典を否定することはできなかった。ここではオリジナリティは重視されず、イノベーションには価値がなかった。

ヨーロッパ中世でも最高の知識人は、聖書やアリストテレスを読んだ聖職者だったが、それを変えたのは16世紀以降の戦争と植民地支配だった。ヨーロッパよりはるかに広い新大陸やアジアを支配し、多くの異民族を統治するには、古典は役に立たなかった。フランシス・ベーコンは古典より観察や実験にもとづく科学を主張し、それを未知の大陸を発見するコロンブスの航海にたとえた。

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