文化防衛論 (ちくま文庫)
戦後73年たっても日本人の中には歴史感覚をめぐる溝があり、そのコアには天皇がある。占領軍は憲法で「菊と刀」を断ち切ることによって、天皇を無力化した。菊(天皇)は刀(武力)と一体で文化的な価値をもちえたのだが、日本人は武装解除されて国民としてのアイデンティティを失った、と三島由紀夫はいう。

こういう喪失感は、今の80代ぐらいにはあるかもしれない(三島が生きていたら93歳だ)が、その下の団塊の世代(70代)は、彼が本書のあとがきで書いている感覚に近いのではないか。三島は戦後25年間を回顧して「その空虚さに今さらながらびっくりする」と書く。
25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス[細菌]である。こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことに、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである

天皇制は明治期に「発明」された信仰であり、それが戦後民主主義という別の信仰に切り替わることは、日本人にとって大した抵抗はなかった。非武装平和主義は「平和憲法を守って侵略されたら、抵抗しないで死んでもいい」という思想だが、これは三島が指摘するように、天皇のためなら死んでもいいと考える「戦時中の一億玉砕思想に直結する」。戦前の偽善は戦後の偽善に陰画として継承され、定着してしまった。

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