清水幾太郎の覇権と忘却 - メディアと知識人 (中公文庫)
清水幾太郎は丸山眞男の最大の親友で、60年安保をともに闘ったが、その後は交流がなくなった。丸山は「夜店」をたたんで本業の日本政治思想史の研究に専念したが、本業のない清水は「転向」し、右派論壇誌の常連になった。1980年に発表した「核の選択――日本よ国家たれ」で大反響を呼ぶが、進歩的知識人からは縁を切られた。

しかし清水の60年代以降の論文は、それほどおかしなものではない。福田恆存も清水を批判したが、それは「今ごろ何をいっているのか」という批判だった。1954年に福田が「平和論の進め方についての疑問」を発表したときは轟々たる批判を浴びたが、「転向」後の清水の主張はそれとほぼ同じである。

1950年代の知識人は「戦前の日本に戻すな」という素朴な信念で団結したが、それが政治的には間違いだったことに気づいた人は丸山のように沈黙した。清水のように正直な人は「転向」したが、彼はそれなりに知的に誠実だった。その後の論壇を支配したのは、社会党や朝日新聞のように間違いをごまかして「非武装中立」などの嘘をつき続けた人だった。

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